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    原発事故の果てにある世界
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      今年の3月に、とあるイベントに寄せた原稿に少し手を加え、ここにアップ致します。

      子どもたちの学校給食で地元のものを急いで使えと言う原発事故後の被災地での動きに対し、私たちは汚染の可能性のあるものを、放射能の影響を受けやすい子どもたちに急いで食べさせることをしないでほしいと、給食についての決定、判断を行う教育長と市長にお願いを続けています。
      子どもを内部被ばくから守るための全国署名活動も展開させながら、子どもに追加被曝を強いる動きを止めようと、力を尽くしているところです。http://ansinmama.jugem.jp/?eid=10
      その署名の締め切りは9月1日で、残り1か月を切ってしまいました。
      ここで暮らしながら、地元のものを食べさせることをしないでほしいという声を挙げることは、かなりの厳しさを伴います。
      その厳しさをご理解頂き、全国、全世界に向けて、応援を求めさせて頂きたいと思っています。
      どうぞ、よろしくお願い致します。

      ここにアップする記事は、内部では批判の対象になるかもしれません。しかし、これは事実であり、低線量被曝の中、子どもたちにはこれ以上の被曝をさせてはいけない!!という援護の声が、あまりにも少なく、これまで出会った専門家たちでさえ、この件で共に声を挙げて頂けないでしょうか?とお願いすれば、気まずそうに背を向けられるような問題です。私たちの主張を後押しする存在がいないという心細さの中、批判されようと、この実情を訴えて応援を求める以外、方法がないという苦しい状況を伝えたいという思いです。意を決してのアップです。どうかご理解ください。


      「原発事故の果てにある世界」

      あれから3年・・・。

       

      風化という声が、全国から届けられる中、被災地の様子を知りたいと、各メディアが次々と取材に訪れています。

       

      大きく取り上げたい内容はと言えば、子どもたちの健康被害について、甲状腺に異常のある親子の様子を知りたいというものが主であり、そこだけ切り取って伝えたがる目線に、他にも早急に伝えたいことがたくさんある私たちは、深い悲しみを覚えます。

       

      子どもたちはいまだ守られずに放置をされています。

       

      挙句の果てに、リスクを抱えた子どもたちが、積極的な内部被曝の強要をされるというおかしな事態になっているので、大急ぎでその動きを阻止しなければ、大変なことになってしまうかもしれない。


      それをいくら必死に伝えても、話題性のあるネタは、子どもたちの「健康被害」についてのことのようです。

       

      私たちは今、子どもたちが学校給食で汚染の可能性のある地元の農産物を、急いで食べさせられようとしていることに対して、辞めてほしいという声を挙げています。

       

      福島県のほとんどの自治体では、子どもたちの学校給食で地元のものを使うことを受け入れており、原発事故によって被曝させられた子どもたちは、風評被害払しょくのため、復興のためという大人たちの判断によって、更なる追加被曝を日々強要されています。

       

      私は先日、とあるイベントに参加しましたが、その中での様々な立場の方のお話のひとつとして、有機農業をされている方のお話がありました。

       

      自分が作ったものは安全であり、検査をしてもセシウムが検出されていないのに、なぜ価格が下がるのか。これこそが風評被害である。

       

      そして、学校給食で使うことに反対の声が上がっているが、なぜ受入れることができないのか、というようなことをおっしゃっていました。

       

      原発事故の被害者としては同じ立場でありながらも、責任の所在が定まらないことで、市民の間では誤った対立構造が生じています。

       

      原発をなくすための目指す項目のひとつには、「子どもを被曝から守る」ということが書かれています。

       

      それとこれとがどう違うのか、農業を守れば子どもが守られずという構図は、大人の判断次第でいくらでも変えることができるはずなのに、いまだにその軸は立ちません。

       

      被害を受けた市民たちは、曖昧さを許しながら、現実に向き合わないようにと誘導されることを受け入れており、その結果子どもたちが矢面に立たされるという状況を作り出しています。

       

      私たちと同じ意見でありながらも、具体的なアクションを起こせずにいる保護者は多数存在しています。

       

      給食の地産地消についての問題は、本当に難しく、協力を求めてもみな背中を向けて逃げて行き、脱原発の声を挙げている人でさえ地産地消に触れることはできない。

      難易度で言えばトップに上がるほどの難しいテーマになってしまっています。


      「お国のために行って参ります」と、戦場に向かう子どもを泣きながら見送った歴史は、今も変わることなく繰り返されており、受け入れたくはないけれど、ということを泣く泣く受け入れながら、現実を生きなけれなならない状況がここに存在しています。

      子どもたちは覚悟を持たない大人たちによって国に差し出され、安全性をアピールするための道具として企みに利用されています。

       

      こんなにも大きな痛みを生み出した3.11。その経験を生かすことなく無駄にしてしまうことは残念なことであり、どんな痛みなら変える力を生むのだろうと、もどかしさは増す一方です。

       

      この時代に生まれてきた子どもたちに、解決の見通しも経たない原発事故の負の遺産を引き渡さなければならないということを意識すれば、心がつぶされそうになります。

       

      私の住むいわき市から北に向かって車を走らせれば、ほんの数十分でまるで違った世界が存在し、人気のない風景やガイガーカウンターの数値は原発事故の現実を見せつけます。

       

      それでもそこに住み続け、子どもを育てている私もまた、曖昧さを許しながら矛盾を受け入れて生きている罪深い大人のひとりです。

      せめてもの罪滅ぼしに、ここに生きる子どもたちが最善の策によって守られる柱を立てようと、体制づくりに力を注いでいますが、原発事故から3年が経つ中で、安全神話が復活を遂げようとしていることに、自分の無力さを感じています。

       

      私の娘は放射能の影響を心配する特別な家庭の子どもとして、震災後の1年は特に、みんなと違う行動をとらせることによって、メンタルに負担を与えることになりました。ひとりだけお弁当を持参して、みんなが給食を食べている中でそれを広げて食べるということは、その場面を想像しただけで、心から血が流れます。

       

      その負担を考慮して、1年でリタイヤを決めましたが、彼女はそのことに大きな罪悪感を抱えてしまっていたようで、先日行われた小学校最後の授業参観の、親への感謝状の発表の時に、みんなの前で泣きながらそのことについて私に謝っていました。

       

      心を守れば身体が守られず、身体を守れば心が守られない。そんな残酷なことを強いた、原発事故後の大人たちの対応でした。

       

      みんながこのことに異議を唱えて阻止すれば、いくらでも状況は変えていけるはずですが、お弁当を持たせたいという親がいたと思えば、早く給食を再開してくれという、お弁当を作ることが面倒だという母親も多く存在しました。

       

      全ては情報が正しく伝わらなかったことによる、危機感の違いということではありますが、この問題もまた、もともと存在していた人々の物事への追及する姿勢の違いです。

       

      原発事故が起こっても尚、いまだに原発の話はタブーであり、市民活動は今も特別なこととされています。

       

      原発という根深い利権の構図に加えて安全神話復活への道を許しているのは、事故の影響はないと言わなければ進まない被災地の経済復興を望む人々と、その復興の中に子どもを守る柱は立っていないという構造の誤りに気づいていながらも、お茶を飲みながら傍観を続ける人々です。

       

      いくら脱原発を望んでも、原発事故の果てにある子どもたちへの被曝の強要というクレイジーな事態に「そんなバカなことが許されるか!」と立ち上がり、動く心がなければ、問題の解決にはなりません。

       

      なんのために脱原発を目指しているのかと根本を見つめた時に、子どもたちの未来のイメージと目の前のアクションはおのずと結びつくのだと思いますが、今の動きの中では、大事なところがすっぽり抜け落ちてしまっているように感じます。

      このままではなにも動かない。なにも解決などするはずもありません。

       

      原発事故による健康被害の実態解明や、それぞれの選択によって抱えた苦悩を伝えることと同時にしなければならないことは、守られないままに放置された子どもたちに、これ以上の被曝をさせないためにはどうしたらいいのかを、大人たちが、真剣に具体的に考えることです。今、早急に必要なことは、目の前の状況を変えるための具体的な動きです。

       

      原発が再稼働に向かうことなどあってはならないことでありながら、いろんなことは市民の希望とは違ったところで有無を言わさずに進められていってしまいます。

       

      原発事故はどこで起こったとしても子どもは守られず、大人たちは復興のために被害をなかったことにすることに躍起になるでしょう。挙句には子どもを差し出して、安全神話を復活させることを選択することになるのです。

       

      この構図を早く壊してほしいと願う私たちは、地元では歩く風評被害と叩かれており、保身のために口を閉ざした人々と、世間体を優先させ、子どものためにも目立つことはするなという家族からのバッシングによって足を引っ張られています。最大の障害は目の前の家族であり、その理解のなさは母親たちを苦しめています。

       

      私たちが意を決して行った、初めての市長への申し入れの後、共にアクションを行ったメンバーは親戚中の吊し上げに遭い、子どもの目の前で夫から引きずり回されるような暴力を受けました。

       

      当たり前に子どもを守ると言うことは、こんなにも大変なことであり、声を挙げれば必ずバッシングを受け、みんなが復興に向けて進もうとしているのに、その足を引っ張る存在として、私たちは郷土愛を持たないワガママな存在とされています。

       

      私たちは生まれ育った福島を守るためにも、子どもたちの健康が守られながらの本当の意味での復興を望んでおり、愚かな選択をして子どもを守ることもせず、挙げるべき声も上げずに理不尽さを受け入れたという歴史をつくることは、大きな屈辱だと思っています。

       

      それでもほとんどの人々は、なんとなくの復興ムードを受け入れており、いろんなことは仕方がないと線を引いてしまっているように感じます。

       

      3年が経つのだからもういいだろうと、なにも変わっていない現状に目をつぶり、明るく元気に進んでいこうという空元気状態には、全力で待ったをかけたいと思っています。

       

      この国は大切なものをすっかり見失い、尊厳を奪われてもそれに気づくこともできないほどの奴隷大国であることを思い知った3年でした。

       

      阿部首相が、状況はコントロールされていると言ったことにも、心の中では憤りを感じながらも、そういうことにしなければ進まない復興の中では、よくぞ言ってくれたというもう一つの目線が存在してしまうという矛盾が、ここにはあります。

       

      ほんとうにこれでいいのでしょうか。

       

      私たちは原発事故の被災者として、内部にも外部にも問い続けながら、具体的なことを今後も続け、子どもを守るための柱を立てて行きたいと思います。

       

      そのためには感情でものを言う母親たちというイメージを払しょくするために、あの手この手で実力をつけていかなければなりません。

       

      そのひとつが放射能の測定活動であり、積み上げたデータを持ちながら、子どもたちはいまだに守られていないという現状を突き付けることは、行政交渉においてもとても有効です。

       

      子どもたちを守るために取られている対策は?と自治体に問えば、モニタリングポストの設置と内部被ばくや甲状腺の検査であるという答えが返ってきます。医療の充実のための努力という言葉を聞けば、結果を待つことしかできないその消極的な姿勢に愕然としてしまいます。

       

      起こってしまったことへの対処と同時にしなければならないことは、これ以上の追加被曝を防ぐために全力を尽くすことであり、そのためには子どもたちの行動に対するあらゆる策が必要です。その目線を持たないままに、管理ということに留まることは、全く持って情けないことです。

       

      私たちは必要性の中から母親目線でどんどん具体的な提案を行っており、行政の怠慢を指摘しながらも穏やかに、にこやかにその要求を続けています。

       

      市民が立ち上がらなければ未来を変えることはできないということを痛感した私たちは、分断を恐れずに生き方を表明する強さを身に着けました。3.11前は普通の母親であり、普通の主婦であった私たちは、いつの間にか戦う母親として矢面に立つことになってしまいました。

       

      今となっては降りることができないところまで来てしまったことを振り返りながら、複雑な思いを抱いています。

       

      この3年の間には、本当にいろいろなことを見せられ、いろんなことを感じてきましたが、原発事故という事態がもたらす現象を、この目でしっかりと見続け、この心でしっかりと感じながら、歴史の中の生き証人として、できるかぎりを尽くしながら未来へ生かしていきたいと思っています。

       

      みなさんと共に、優しい未来を築いていくことを、心から望みます。

       

       

       

      posted by: クリキンディ | 過ぎていく時間の中で | 13:37 | - | trackbacks(0) | - | - |