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子どもを守ることよりも優先に行われている帰還政策2014.06.28 Saturday
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原発事故後に打ち出された様々な政策の中で、進んでいることと進んでいないことを比べれば、この国がなにを守ろうとしているのかということが分かります。
子どもの未来を第一優先に考えれば、避難させること、追加被曝を防ぐこと、受けてしまったダメージを軽減させることなどを真っ先に掲げてその政策を急ぐことでしょう。しかし、実際はと言えば、それらの政策は一向に進むことなく、これぐらいなら影響はないであろうという見解で、いろんなことはいまだに放置されたまま、子どもたちは更なる被曝を重ねています。
原発事故をもみ消すため、避難している住民を戻すための動きは驚くほどにスピーディーで、まだまだ高線量の中であっても帰還をさせようとする強引さは、クレイジーであるとしか言いようがありません。放射性物質は今も大量に放出され続けているというのに、環境省による除染マニュアルでは子どもたちの教育現場でさえ追加除染を認めておらず、事故前の環境に戻すことを目指すことはとても困難です。安全基準の数値を上げて、それに満たなければ除染の対象にはならないということも、とても理不尽なことです。
汚染の事実があっても子どもを守ることができないというこの実態に、この国の責任の取り方のいい加減さが露呈しています。
帰還困難区域では住民を戻すために大がかりな除染が行われており、高線量の中での除染風景の中には若者の姿もたくさん見られます。
鍬で表土を削ったり、屋根の瓦を一枚一枚拭いたりという作業は手作業でも行われており、そのそばには大量に積み重ねられたフレコンバックの山があります。
原発事故というものは起こってしまえばこのように、住民は守られず、なかったことにしようとする流れにどんどん飲み込まれていきます。
大切なものを取り戻すために灯し続けているささやかな火は今にも消えそうで、小さな手で必死に囲み続けているような状態ですが、このような発信を頼りにして下さっている方々の思いに応えるためにも、細々とでも伝え続けていかなければならないと思っています。
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原発事故から時を経て2014.06.09 Monday
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震災後、どれだけの方々との出会いを頂いたのか、今となっては思い出せないほどの日々を過ごして来ました。
3年3か月が過ぎた今、「なぜあの時、訪問を受け入れて話をして下さったのか」という質問に答える場面があったので、それにどう返したかという形で、ここに残しておきたいと思います。
大学生のみなさんにお話をすることも何度かあったのですが、その中のひとつのお話です。
************ここを訪れるみなさんが、被曝のリスクを抱えながらこの地に来て下さったのは、何を得るためなのかという思いを抱きながら、対応をさせて頂きました。
これからこの社会の中を生きていく若いみなさんにお伝えしたいことはいろいろありますが、この事態を本質的なところまで理解することは困難であっても、問題に向き合っている私たちに出会うことによって、小さな種は受け取って頂けるのではないか。感性が豊かな時に出会ったものは、今は咀嚼できなかったとしても、いつかどこかで何かに直面した時に芽を出すこともあるかもしれないという気持ちでお話をさせて頂きました。
事態の渦中に生きる私たちと、実はその渦の中に加わっていながらも、それを意識することの難しい日常の中で生きるみなさんとでは、この問題を共有することは困難であると感じます。
国策によって進められてきた原発というものは、細部に渡ってそれを歓迎することを当たり前とする外堀が埋められており、暮らしの常識の中にまで浸透してしまっているその当たり前感を覆すことは、並大抵のはたらきかけでできることではありません。
原発事故の被害を受けたここに住む人々が、どのようなことが起こったのかを理解することも困難で、権利を主張することもできていないことが、その大変さを物語っています。
復興というものに光と影があるとすれば、私がみなさんにお伝えするのは影の部分であると、これまではそのように思ってきました。
原発事故という大惨事から立ち上がっていく市民の姿を捉える場面は数多く存在しており、明るく前向きなことばかりを伝えようとする発信のあり方に、違和感を抱く市民も存在しているということは、どれぐらい伝わっているのでしょうか。
そういった明るい話題ばかりが大きく取り上げられることにより、国が全く向き合わないことによって進まない被曝という現実の世界に生きる私たちは、一層孤独に追いやられ、取り残されていってしまう焦りを強めているということは、あまり伝わっていないのではないでしょうか。
メディアに期待はできないと、原発事故がもたらした被害によって理不尽さを強いられている弱者たちの実態を表に出すために、同じことを何度も繰り返し伝えながら歩み続けた日々というものは、出口のないトンネルを突き進んでいるように感じるほど、宛てのないものでもありました。
通りすぎていく旬を追うような、冷たさを感じる取材の数々や出会いの中にも、今尚消えることなく残り続けている繋がりも存在しており、その大切な存在の中のひとりが、生徒さんをここに連れて来て下さった先生です。
ショッキングな事態が起こった時には、人々は一斉に立ち上がり、おかしいことをおかしいと叫びながら、何かを変えようとする希望の動きを見せますが、時が経った今、一体どれだけの人が変わることなくその思いを貫き、この事態に向き合い続けているでしょうか。
立場によって向き合い続けることが困難な、この原発事故の実態こそ、伝えることを粘り強く続けなければ、私たちの経験は過去のこととして葬り去られ、促されるままに事故の爪痕は小さいものとされていってしまいます。
風評被害という言葉を生み出すことによって、現実から目をそらさせようとする国の企みは、見事に大成功をおさめようとしているようにも見えますが、明るく前向きな見せかけの復興の中に存在している隠れた罪悪感は、事態が前に進むことを妨げる危うさも併せ持っているようにも感じます。
絶望的で、先の見えない状態にありながらも、そこを必死で変えようとする動かぬ思いの中にこそ、揺らぐことのない確かな軸が存在しており、明るさの中にある危うさと対極の、とてつもないエネルギーを秘めているという側面もあるのではないでしょうか。
歩いては突き当たる壁の数々に、果てしなく重い荷物を背負わされてしまったようだと感じることもありますが、その中で紡いできたことを振り返ってみれば、それは実は影ではなく光ではなかったかと、今となってはそんな風にも感じています。
原発事故の影響を受けたこの地に、学生さんたちを送り出して下さった先生方の思いはどうであったのでしょうか。
私たちの今は、県外の方からは「なにが起こっているのか分からない」と、よく言われますが、ますます事態は深刻な状態であるということは事実です。
その中でも、市民の力を取り戻すべく様々なはたらきかけを続ける中で見えて来た、小さな希望もたくさんあります。
この世界とみなさんの世界は繋がっており、その未来が真実の豊かさによって満たされるよう、私たちはここで力を尽くしたいと思います。
学生さんたちとの出会いを与えて下さったことに、心からのお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
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