今を記録に残そうとすると、必然的にそんな数え方になってしまう。
フクシマ暦?
カタカタ表記はやっぱり嫌だけど、それが適切なのかもしれない。
2011年3月11日から数えて7年が過ぎ、その10日目ぐらいに発表されたモニタリングポスト(リアルタイム線量測定システム)の一部(2400/3000台)撤去計画。
住民が声をあげ、各自治体の首長に要請書を提出し、議会に請願や陳情をして、各議会は国に意見書を提出して撤去計画の中止、モニタリングポストの継続を求めてきた。
それにも関わらず今、住民説明会への参加人数の少なさが取り上げられ、「やっぱり反対しているのはいつもの人たちじゃないか」というまとめがされてしまいそうな気配が漂いはじめている。
撤去はされないほうがいいとは思うけれど、具体的な動きをするまでには至らないという諦めのようなムードには理由があり、事故をなかったことにしようとする必死の国策に立ち向かうエネルギーを暮らしの傍らに持ち続けるということは、そんなに簡単なことではない。
だから、「なぜ声をあげないの?」という問いに対しては、「同じ経験をしてみればきっと分かると思いますよ」と答えるしかないのかもしれない。
原発事故により汚染された事実、それによる影響に対して言われている「フクシマ差別」や「デマ」といった説については、一見、被災者擁護の優しさのようにも見えるが、原発事故の加害者の罪を容認し、原発事故の幕引きに手を貸し、過ちを正すというあるべき姿勢を抑え込むものに他ならない。
長い歴史の軸の中に身を置き、国境を越えた様々な問題の当事者たちとつながれば、原発事故は巨大な人権問題だということに気づくだろう。
フクシマ暦の原点に戻ってあの時の記憶を呼び起こせば、過ちを正さなければという思いが自分の中に込み上げたことを思い出す。
時間が与えてくれるクールな視点により、感情を脇に置くことはできるようになったけれど、それでも湧いてくるこの乾いた悲しさは、それなりに活力の邪魔をするから厄介だ。
]]>何度も何度も繰り返す言葉。
幕引きを狙った復興イベントに足を運ぶということは
とても屈辱的なこと
楽しい施設や新しいお店がどんどんできても
喜んで受け入れることは屈辱的なこと
それで暮らしが豊かになるわけでもなく
豊かさの根本は、すっかり奪われてしまったのだから
失ったものを忘れてはいけない
そこを埋めることなんてできないのだから
失って気付いたことを忘れてはいけない
もうもとには戻らないのだから
私たちは大きなあやまちを認めなければならない
そして、改めなければならない
誤魔化すための魔法にかかってはいけない
騙されて浮かれていてはいけない
そこに足を運ぶということは
幕引きを受け入れるということ
そこに足を運ぶということは
原発事故の影響を、大したことないと伝えてしまうこと
もうもとに戻ったという嘘が
まかり通ってしまうことを許してはいけない
改めるという宣言を貫くために
抗い続けることは孤独だけれど
孤独なままではなにも変わらない
道は果てしない
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あれから7回目の3.11
それぞれの問題は多種多様で、誰にも話すこともできないような自分の思いは、地面に穴を掘り、叫んでは埋め、叫んでは埋めを繰り返してきた。
埋め続けたその叫びはマグマとなり、もう爆発寸前状態でありながら、日常はリズム通りに繰り返されていく。
ぶつけようのない思いや叫びなどは全く無視をされ、存在もしないものと蓋をされ
「原発事故は起こったけれど除染して綺麗になり、もうもとに戻った」という5年の幕引き。
原発事故が起こったことを思い出し、大変だったねと振り返るような内容の「東日本大震災から6年特集」
でもこれは、記念日のような過去のことではなく未来の話。
原発事故が起ったのに、私たちの苦しみはここに存在しているのに、反省することもなく再稼働へと踏み切ったこの社会の選択。
国の政策を叶えてしまう社会の選択。
逃げることも許されず、守ることも許されず
力を持つ専門家たちは「影響はない」「安全だ」を強く大きく繰り返し
汚染の実態を伝えれば「復興」の妨げになると、原発事故被災地自らも原発事故の影響は実害ではなく「風評被害」だと、権利の主張を放棄する。
放棄することを選択することにより、「原発事故は起こっても大丈夫」というモデルができあがり、原発推進の流れを後押ししてしまうことになる。
それが私たちの選択?
それが私たちの望む未来?
違う・・・
誰も、そんな未来は望んでいないはず。
私たちは選択することができる
その権利を持っているはず。
広島長崎を経験した日本の、原発事故に対する反応が世界に与える影響の大きさは、ひとりひとりが自覚しなければならないこと
原発事故被災地とされる福島だけの問題じゃない。
今を生きる、ひとりひとりの反応が、歴史を刻む。
「原発事故は起こったけれど、たいしたことはなかった」という歴史を残してはいけない。
過去の過ち、過去の悲しみは今に繋がり、今は未来へと繋がって行く
被爆者たちの叫びは未来に生かされるべき
被曝した私たちの叫びも、未来に生かすべき
チェルノブイリ事故は30年以上経った今も、その影響についてはまだまだ解明されていないことばかり。
なのになぜ、「慎重に守っていきましょう」ではなく、「影響はない」「安全だ」を繰り返すのか
子どもたちの権利は、誰が守ってくれるのか
「影響はない」「安全だ」という大きなその声は、いったいなにを守ろうとしているのだろう
行き場のない思いを抱え、私たちは彷徨うことしかできないのか
国が膨大な予算を投入して展開してきた「原発事故は不安に思う心の問題」「安心安全」を繰り返すリスクコミュニケーション事業は見事に大成功を遂げたのか
権利を差し出し「安心安全」を受け入れるしかない諦めは、経済活動である原発の事故だからなのか
いろんなことを見つめてきたこの6年。
未来を生きて行くのは私たちの子どもや孫、そして、もっと先を生きる子孫たち
「人が幸せに生きる権利」は、失ったことを自覚しなければ、そんなものはこの社会には存在などしないということに気付くことは難しいのかもしれない
そんなことに気付かされたこの6年。
奪われたことに気付かなければ幸せに生きることができるのかもしれないけれど、それは幻。
この人生は誰のものなのか
私たちが誕生を望み、この世に迎えた子どもたちには、彷徨うことなく自分が望むように、自分の人生を生きてほしい
そのためには、誰かに支配されながら生きることしかできない、私たちが生きるこの社会を少しでも変えてから渡したい
奪われてしまった当たり前の権利を取り戻すためには、なにができるだろう
諦めの先にある支配を受け入れることなく、何年が経とうと向き合い続けることができる自分でありますように
そんなことを願う7回目の3.11。
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「2巡目の測定の終わりまで、あとちょっとです」
http://iwakinomama.jugem.jp/?eid=137
2013年から始めた子どもの環境の測定活動は、今年で4年目を迎えました。
2015年11月から行っている2巡目の測定も、来年の1月には終了する予定です。
2015年11月〜小学校(67校)
2016年4月〜中学校(39校)
2016年8月〜2017年1月(予定)
幼稚園・保育園・保育所(84箇所)
※公立は全て。私立は希望があったところのみ。
2巡目の測定箇所は、190箇所でした。
いわき市は広いので、一通りを終えるまでには、1年以上の時間がかかります。
四季折々の風景を眺めながら、ぐるっと一回りして、また、寒い冬の到来です
雪が降ると測定はできなくなってしまうので、冬の測定は、雪が降りそうなところを優先にするなど、季節によっての工夫も必要です。
1巡目の時は、なにもかもが初めてということもあり、「もっとこうすればよかった・・・」という反省がたくさんありました。
2巡目の測定ではその反省を生かしながら、より入念な測定を行い、データのまとめ方についても、測定結果が子どもたちの環境改善に結びつくようにと、かなり詳細に行っています。
原発事故という未曽有の出来事が起こり、私たちは「何が必要なのか」ということを自らが考えなければならないところに立たされました。
初めてのことに向き合っていくためには、既存のやり方ではなく、新しいことを創造していかなければなりません。
身の上に降りかかってみて初めて感じる必要性。
目には見えない放射線の問題に向き合うため、私たちが必要性を感じた行動は、汚染を可視化させるということでした。
事故前の環境に戻すことは不可能であったとしても、できる限りの安全を手に入れるためには、受けた被害を証明するという、新たなライフワークが必要になりました。
被害を受けたことを自らが証明しなければ、防護のための策を求めることができないということは、とても大変なことでもあります。
求めなくても当たり前に守られるようなやさしい社会になりますように・・・私たちは、そんな未来を心から願っています。
測定データがまとまり次第、子どもの環境改善に向けて、いわき市とデータの共有をし、協議を行います。
北風が強く吹く中で、子どもたちは元気に遊んでいます。
現場の先生方には、いつも快く受け入れて頂き、ご協力を頂いています。
引き続き、どうぞよろしくお願い致します。
TEAM ママベク 子どもの環境守り隊 メンバー一同
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その偽りも現実
何が必要なのかも、それぞれの選択。
先を見ながら今できることを
できることを淡々とやり続けるだけ。
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原発再稼働に向けての動きがどんどん加速している様子には、「私たちの苦しみは一体なんだったんだろう」と、受け入れられない気持ちを抱くと共に、避難計画が整えば再稼働をよしとする流れを見ながら、事故が起っても避難など許さない、この国の冷たさを知ってしまった私たちの無力さを痛感します。
原発事故直後、全ての人々が自分の生き方を振り返り、心が動き、身体が動き、ひとつになって負の連鎖を断ち切ろうとしたのだと思いますが、それを持続させることができず、こんなことになってしまったのはなぜなのか、繰り返される悲しい歴史の数々と重ねながら、悲しみが溢れます。
あれから5年
環境省から告げられた、除染事業は今年度で終了という線引き。
汚染された土地へ戻ることを強いる動き。
原発事故は収束もしていないのに、汚染のもとを断つこともできていないのに、「被曝の原因を取り除く努力、環境をもとに戻すための努力はもうしませんよ」と、加害者側である国が一方的に義務を放棄していく理不尽さ。
それを受け入れるのか、それとも権利を主張しながらもとの環境に戻るまで改善を求め続けるのかは、負の連鎖を断ち切る勇気と覚悟を試される場面でもあります。
原発事故という未曽有の出来事が起こり、「未来をどのように守っていくか」という大変なステージに立たされてしまった私たちは、既存のやり方など通用しない中で新たな策を打ち出していかなければならない存在となり、目には見えない放射能に向き合うということは、損得ではない世界で物事を考えないと、動かすことは不可能だということも散々味わってきたことでもあります。
しかし、「まだそんなことを言っているのか」という声は、負の連鎖を断ち切ろうとする声を大きく上回り、「どんな理不尽さも受け入れていくしかない」という許容体制が、理不尽さを強いる体制を助ける形で存在していることに、悲しみは一層深まります。
一度受け入れてしまったら手放せない、中毒性のあるこの巨大な経済活動は「絶対に繰り返してはいけない」という宣言を、ひとりひとりが一分一秒ごとに心に誓わなければ、それを断つことは叶わないような恐ろしいものです。
そして、負の連鎖を強いる魔物と戦うために必要なものは、ひとりひとりの心の力。
再稼働を阻止するために、動き始めた方々に、伝えたいことがたくさんあります。
なくしてしまってから気付く、かけがえのない日常のありがたさ・・・
どうか、大切なものを守り抜いてください。
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全国のみなさんにご協力を頂きました、子どもたちを内部被ばくから守るための全国署名と要望書を、いわき市教育長に提出してから、9か月が経とうとしています。
http://ansinmama.jugem.jp/?eid=13
約1年半に渡って続けて来た要望は教育長の判断によって却下され、2014年の12月から、地元産米の使用はスタートしました。
その際に、「強制ではなく、不安な家庭についてはお弁当またはご飯の持参も認める」と選択肢が設けられ、希望があれば申し出るという方法が取られることになりました。
しかし、この件は地元産米に切り替わるというお知らせがされた2014年10月にお便りが配布されましたが、申出書は希望した家庭のみに配布されるため、存在を知らなければ、申し出ることができません。
要望書提出後の2014年12月に教育長との面談を行った時にも、新入学時の説明会の際、全家庭に周知をしてほしいというお願いをしましたが、残念ながらそれは実行に移されず、各学校長の判断に委ねられることとなりました。
教育委員会との協議を続ける中で、新入学児の母親らからの情報を得て、前回の協議(5月)の際に改めて依頼をしたところ、教育委員会として、次のような決定をしたと回答がありましたのでお知らせ致します。(7月1日の協議の内容)
これまで、アレルギーや腹痛、放射能による不安などによる、給食、ご飯、牛乳などの停止、再開の申し出書は、6種類に分かれていましたが、今後は用紙をひとつに統一し、新たな申出書を作ることになり、来週には各学校を通して全家庭に配布されることになります。
教育委員会のホームページからもダウンロードが可能になります。
http://www.city.iwaki.fukushima.jp/kyoiku/somu/hokentaiiku/020976.html
また、このような選択をすることによって、同調圧力による子どもの負担は大きくなることや、デリケートな問題であるのにも関わらず、先生からの心ない対応で深く傷つくパターンもあることなど、現場からの声として細心の注意を払うように、先生方に伝えてほしいということも、強く要望しました。
目には見えない苦しみや悲しみを見過ごすことなく、その後の影響についても想像力を持って心を配ってほしいということは、これまでも何度もお伝えしています。
なかなか伝わりにくいことですので、具体的な例を出してイメージしてもらったりと、私たちとしてもできる限りの伝える努力は重ねています。
力不足ではありますが、このような結果となりました。
以下は、27年度4月末の時点での、お弁当持参、ご飯のみ持参の生徒数です。
※()の中は26年度9月との比較です。
しかしこれは、「身体の健康を守るか」「心の健康を守るか」のどちらかを選ばなければならないという苦渋の選択を強いられた結果の数字であり、不安に思いながらもそれを行動に移すことができないという実態が潜んでいます。
複雑な問題によって、矛盾だらけの世界になってしまった原発事故後の暮らし。
言葉に表すことのできない苦しみを、なんの罪もない子どもたちに背負わせることになってしまったことは、とても重たい現実だと感じています。
お弁当持参の生徒数 小学校 8名(+6)
中学校 4名(+2)
ご飯のみ持参の生徒数 小学校 224名(-54)
中学校 37名(-1)
以上です。
『脅威の社会に服従していいのか?リスクの社会を受け入れていいのか?』
〜リスク・コミュニケーション コミュニケーションの危機を語ろう〜
使用言語:日本語 (通訳なし)
日時: 2015年06月14日(日) 10:00 - 18:30
場所: 日仏会館フランス事務所 1階ホール
人間の営みが引き起こした最も大きな脅威のひとつが、2011年の震災のときの福島第一原発の事故で具現化されたにも関わらず、再びリスク・コミュニケーションという言葉が浮上するようになって2年が経とうとしている。
巧みな言葉の錬金術により、人間が引き起こすリスクと自然災害によるリスクは、「リスク」というカテゴリーで一括りにされてしまっている。原因管理について考えることは、もはや今日的意義がないように見えるが、ウルリッヒ・ベックの著書のタイトルにあるような、例外的な状況を普通としてしまう恐れのある社会である「リスク社会」を生きるのを認識することは我々の今後の課題である。今日のリスク・コミュニケーションの役割とは何なのだろうか。どのような目的で、誰に向けられているのだろう。リスク・コミュニケーションは情報ツールか、防衛の手段か、それとも、忍従、服従化のための道具なのだろうか。
【登壇者】島薗進(上智大学)、長谷川公一(東北大学)、鵜飼哲(一橋大学)、セシル・浅沼=ブリス(CNRS)、國分俊樹(福島県教職員組合)、後藤忍(福島大学)、名嶋義直(東北大学)、神田靖子(大阪学院大学)、影浦峡(東京大学)、鈴木真理(はっぴーあいらんどネットワーク、郡山)、千葉由美(いわきの初期被曝を追及するママの会)、鴨下祐也(避難生活を守る会)
【学術責任者】セシル・浅沼=ブリス(日仏会館・日本研究センター、CNRS、Clersé)
【主催】日仏会館フランス事務所、 Clersé (フランス国立科学研究センター・リール第 1 大学)、LIA HPDR
当日プログラムPDF
* 参加者限定の研究セミナー等を除き、特に記載のない限り、日仏会館フランス事務所主催の催しはすべて一般公開・入場無料です。席数に限りがございますので、事前のお申し込みをお願いいたします。
ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第37回
『原発事故後の言葉と民主主義』
リテラシー・ワークショップVol.3
〜背後にある情報の意味に気づく〜
風評被害、風評払拭、放射能「安全」、復興目途、因果関係認めず、などの言葉が蔓延しています。これらは、本当に必要な情報を伝えているでしょうか。原発事故直後から、そして時が経つにつれ、伝えられる言葉の崩壊はますます深刻化しています。専門知識がないから理解できそうにないと情報の意味を考えず、一部の専門家のみに決定と責任をあずける姿勢がこの現状を後押ししています。知識の有無にかかわらず、言葉をシンプルにひも解くことで、背後にある情報の意味に気づき、自ら判断し、行動の選択につなげていく、リテラシー・ワークショップを開催します。生まれながらにして誰もが持つ、言葉と認識、またその権利を見つめ直します。講師・モデレーターの影浦峡さんとともに、ひとりひとりが情報に適切に反応し、開かれた社会づくりにかかわっていくことを始めませんか?
■講師・モデレーター: 影浦 峡さん
東京大学教育学部・マンチェスター大学科学技術研究所卒、博士(PhD)。現在、東京大学大学院教育学研究科教授、所属は図書館情報学研究室、専門は言語とメディア。著書に『信頼の条件:原発事故をめぐる言葉』(岩波科学ライブラリー)『3.11後の放射能「安全」報道を読み解く 社会情報リテラシー実践講座』(現代企画室)など。オンラインの翻訳支援、『みんなの翻訳』プロジェクトを中心となって運営している。( http://trans-aid.jp/ )
■共催:
・市民科学者国際会議
l政治、経済、イデオロギー、宗教から独立したNPO法人として、東京電力福島第一原発事故による放射線の健康および環境への被害を可能な限り低減するための活動を行ってきた自由な市民によって設立された。放射線の健康影響に関する世界の最新の科学的知見の収集と共有、国内外の団体とともに議論の場の提供、効果的な放射線防護対策を最善の形で生かしていけるよう国際的なネットワークの発展に尽力している。(http://csrp.jp/ )
・はっぴーあいらんど☆ネットワーク
東日本大震災後、市民が集まり活動を始めた。イベントやワークショップを年間通して開催、特に年に一度開催される『はっぴーあいらんど☆フェスティバル』は県内外から多くの来場者、参加者が集まる。原発事故後の福島を正面から向き合い様々な問題を共有しながら今を見つめ未来を考える活動をしている。(http://blog.canpan.info/happyisland/ )
■日時: 6月12日(金) 18:00〜21:00 (開場17:45)
3時間特別企画、開始時刻にご注意ください。
終了後、懇親会を近隣にて開催します。どうぞご参加ください。
■会場: 新宿区若松地域センター 2階 第1集会室
東京都新宿区若松町12-6 (大江戸線・若松河田駅 河田口 歩2分)
■参加費: 一般1,000円/学生500円 当日受付にてお支払ください。
■お申込み: こちらから 事前にご登録ください。
■ご案内レター: こちらから 250リテラシー・ワークショップ SJFアドボカシ―カフェ広報テキスト
■主催・お問い合わせ先:認定NPO法人まちぽっと ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)
Tel 03-5941-7948、Fax 03-3200-9250、
メール info[あ]socialjustice.jp (送信時には、[あ]を@に変更ください)
]]>私たちにとっての日常は、どんなものであったのか、今となっては思い出すことも難しい、原発事故前の日々。
過去と現在を分けることになった原発事故は、今も全く収束の目途も立っていないというのに、1時間ほど車を走らせれば着くほどの近い距離に住む私たちにとっても、その惨状を実感することは難しくなっています。
遠い所に居れば尚のこと、おそらく年に一度のイベントとして振り返るような、そのような存在になってしまったのかもしれないと、原発事故をテーマにする記事や番組が多くなったここ最近を眺めながら、そんな風に感じています。
原発事故の被害に遭った私たちが、日々の暮らしは一変したと思うか思わないか、今、目に映る、明るい復興を伝える様々な情報やPRに、違和感を抱くか抱かないかは、原発事故の実害を知るか知らないかによって、大きく分かれることとなりました。
大きな違和感を抱き苦しみながらも、真実を知って、最善を尽くすために向き合っていきたいというのが、子どもの未来を案ずる私たちの思いですが、そうした思いも今となっては肩身の狭いものとなり、正面から堂々と被曝の危険性を話せば、まだそんなことを言うのかと、時代錯誤のような扱いをうけるようにもなっています。
風評被害という言葉が広まったことにより、私たちは今、「実態のない放射能被害に対して不安を抱き続ける問題のある人」という強引な決めつけによって、不安を抱くことを否定され、手放すことを急がされています。
国が膨大な予算を投じて行っている「リスクコミュニケーション」は、放射能に対する不安な心を取り除くために、あらゆるところで展開されており、専門家や医者たちが、今現在の内部被曝のデータを見せ、癌の要因や他のリスクと比較をしながら、放射能の影響はないと安心を促します。
「説明を聞いて安心した」という意見が殆どであったと、住民たちが不安を手放して被害を受け入れたという結果を積み上げることによって、なにを成し得ようとしているのかを考えれば、簡単に安心を受け入れてしまうことが、どれほど危険なことなのかということは理解できるはずですが、疲労感により、不安を手放して楽になりたいと思う気持ちも、否定しきれるものではないのかもしれません。
不安を取り除くことによってなにが改善されるのかと言えば、汚染がなくなるわけでもなく、被曝の影響が軽減されるわけでもありません。
具体的な対策は進まないまま、不安を取り除くことのみを急かされることを、受け入れてしまってもいいのでしょうか。
いつまでも強情なことを言い続ける頑固者のような扱いを受けながらも、おかしな説明が繰り返される意見交換会で、子どもの健康を守るためには予防原則に徹することが大事だと言い続ける存在は、今となってはとても珍しいものとなってしまいました。
譲れぬ思いをどこまで貫くことができるかという精神力が試されるステージは、だれが好き好んでそのような場に参加するのかというような過酷なものとなっています。
市民を募集すると言いながら、ほとんどが行政の関係者という参加者たちは、不安を解消させるためにはどうしたらいいのかと、始めからそんなことを口々に言いながら、安心を受け入れることを許してしまった存在です。
そもそも、リスクコミュニケーションとはリスクを減らすための改善策を話し合うことであり、具体的な改善策も進まないまま、安心を押し付けるリスクコミュニケーションに対し、おかしさを否定できないことは、原発を受け入れたこと同様に、権利を放棄してしまったということなのではないでしょうか。
原発というモンスターは、事故が起こっても尚、人々の心を支配し続け、大切なものをどんどん奪っていきます。
事故によって日常も大切なものも奪われてしまったのに、更に差し出し続ける理由はなんなのかと、クレイジーなリスクコミュニケーションに呑まれてしまっているこのおかしさに、疲れ果てた心から血を流しながら迎える、あれから5度目の3・11です。
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