国が膨大な予算を投入しながら大展開させている「リスクコミュニケーション」は、これまで行われてきた大人数を対象にした講演会形式から少人数制の円卓形式に変わり、より近い距離で市民の声を聞きながら、不安を解消させるためのコミュニケーションを深めることが目指されています。
原発事故の被害を受けた住民が、放射能の影響に不安を抱くことを否定され、しかも安心は外側からの押し付けだけではなく、内側に居る住民たちもそれに加担しながら、原発事故という事態に反応する住民の姿勢を批判するという、おかしなことになっています。
2月12日に行われた「食品に関するリスクコミュニケーション」について
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000071214.html
今現在のホールボディカウンターによる内部被曝検査のデータを示しながら、放射能が人体に与える影響はないとする説明に、地元住民たちは安堵し、現状を受け入れていきます。
ペットボトルの水を購入することや、県外産の食品を購入し続けることは困ったことだと言いながら、この不安を取り除くためにはどうしたらいいかということが大真面目に議論されており、いまだ収束の目途も立たない原発事故という根本の問題はどこに飛んでいってしまったのか、核実験が行われていた頃のほうが汚染は酷かったというすり替えを用いて、この原発事故の影響を軽いものだと印象付けます。
論点のおかしさを紐解いて目線を整えることは、被害者という立場に立てばますます必要であり、いつまでこのおかしさに巻かれていなければならないのかというもどかしさを感じながら、力をつけることの重要性を痛感します。
「もとの生活に戻るためのお手伝い・・・」
もとに戻れるものならば、戻してほしい、今すぐにでも。
その言葉がいかに残酷であるかも分からない、心を持たない存在に踏みにじられ
それでも傷の痛みを麻痺させないようにと、大切なものを守りたいという思いにも塩をすりこまれ
リスクを低減させるための具体的な動きは進まないまま、不安だけを取り除くとは
原発事故による被害を受けた私たちは、この屈辱を受け入れるべき民なのでしょうか。