あと1か月であれから4年という日がやって来ます。
そんなことに気づいたのもついさっきのこと。
どんどんもとの暮らしに戻っていく流れを見送り、いろんな思いは飲み込みながらも、根本の気持ちはきっと今も変わらないと信じることだけは手放さないようにと、自分に言い聞かせる日々です。
原発事故だけじゃない、いろんなことがどんどん不穏な方向へと流れて行き、望まない未来が目の前まで迫っている危機を感じます。
何かが起こった時の対応は、誰のために、なんのためになされるのかということを、原発事故後の様々な動きの中から見せつけられることになった私たちは、リアルを知りすぎてしまった存在なのかもしれません。
あり得ないようなことが平気であり得てしまうということや、人々の悲しみはどんどん葬られながら、受け取る者だけがとことん受け取り続けるという構造は、よほどの信念を持って貫く覚悟が集まらない限りいつまでも続き、それはどんどん拡大していくということも現在進行形で見つめています。
いまだに続いている将来影響があるかどうかという呑気な議論は、誰を守るためで、なにを守るためのものなのでしょうか。
それが被害を受けた弱者のためではないことで、もちろん子どもの未来を守るためのものではないということは、分かり切ったこととなりました。
情報は巧みに操作されながら運びたい方向へと意識を動かされ、大きな流れにのみ込まれ、目の前の大切な存在すら守り切れない事態はやがて拡大し、自分の手から奪い取られていくことになることが現実のこととなるかもしれない・・・
未曽有の出来事が起こり、世の中を変えようと人々が立ち上がり、生き方を見つめ、大切な存在を再認識した4年前。
こんな風に不穏な方向へと突き進むことは、本当は誰も望んではいないはずなのにと、深い悲しみが心を覆います。