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    「原発事故は、不安に思う心の問題」リスクコミュニケーションの果てにある世界
    0

      原発事故から6年。

      あれから7回目の3.11
       

      それぞれの問題は多種多様で、誰にも話すこともできないような自分の思いは、地面に穴を掘り、叫んでは埋め、叫んでは埋めを繰り返してきた。

      埋め続けたその叫びはマグマとなり、もう爆発寸前状態でありながら、日常はリズム通りに繰り返されていく。
      ぶつけようのない思いや叫びなどは全く無視をされ、存在もしないものと蓋をされ

      「原発事故は起こったけれど除染して綺麗になり、もうもとに戻った」という5年の幕引き。

       

      原発事故が起こったことを思い出し、大変だったねと振り返るような内容の「東日本大震災から6年特集」

      でもこれは、記念日のような過去のことではなく未来の話。

      原発事故が起ったのに、私たちの苦しみはここに存在しているのに、反省することもなく再稼働へと踏み切ったこの社会の選択。

      国の政策を叶えてしまう社会の選択。

       

      逃げることも許されず、守ることも許されず

      力を持つ専門家たちは「影響はない」「安全だ」を強く大きく繰り返し

      汚染の実態を伝えれば「復興」の妨げになると、原発事故被災地自らも原発事故の影響は実害ではなく「風評被害」だと、権利の主張を放棄する。

      放棄することを選択することにより、「原発事故は起こっても大丈夫」というモデルができあがり、原発推進の流れを後押ししてしまうことになる。

      それが私たちの選択?

      それが私たちの望む未来?

      違う・・・

      誰も、そんな未来は望んでいないはず。

      私たちは選択することができる

      その権利を持っているはず。

       

      広島長崎を経験した日本の、原発事故に対する反応が世界に与える影響の大きさは、ひとりひとりが自覚しなければならないこと

      原発事故被災地とされる福島だけの問題じゃない。

      今を生きる、ひとりひとりの反応が、歴史を刻む。

      「原発事故は起こったけれど、たいしたことはなかった」という歴史を残してはいけない。

      過去の過ち、過去の悲しみは今に繋がり、今は未来へと繋がって行く

      被爆者たちの叫びは未来に生かされるべき

      被曝した私たちの叫びも、未来に生かすべき

       

      チェルノブイリ事故は30年以上経った今も、その影響についてはまだまだ解明されていないことばかり。

      なのになぜ、「慎重に守っていきましょう」ではなく、「影響はない」「安全だ」を繰り返すのか
      子どもたちの権利は、誰が守ってくれるのか
      「影響はない」「安全だ」という大きなその声は、いったいなにを守ろうとしているのだろう

      行き場のない思いを抱え、私たちは彷徨うことしかできないのか

       

      国が膨大な予算を投入して展開してきた「原発事故は不安に思う心の問題」「安心安全」を繰り返すリスクコミュニケーション事業は見事に大成功を遂げたのか

      権利を差し出し「安心安全」を受け入れるしかない諦めは、経済活動である原発の事故だからなのか

      いろんなことを見つめてきたこの6年。

       

      未来を生きて行くのは私たちの子どもや孫、そして、もっと先を生きる子孫たち

      「人が幸せに生きる権利」は、失ったことを自覚しなければ、そんなものはこの社会には存在などしないということに気付くことは難しいのかもしれない
      そんなことに気付かされたこの6年。


      奪われたことに気付かなければ幸せに生きることができるのかもしれないけれど、それは幻。

      この人生は誰のものなのか


      私たちが誕生を望み、この世に迎えた子どもたちには、彷徨うことなく自分が望むように、自分の人生を生きてほしい
      そのためには、誰かに支配されながら生きることしかできない、私たちが生きるこの社会を少しでも変えてから渡したい
      奪われてしまった当たり前の権利を取り戻すためには、なにができるだろう
      諦めの先にある支配を受け入れることなく、何年が経とうと向き合い続けることができる自分でありますように


      そんなことを願う7回目の3.11。

       

      posted by: クリキンディ | リスクコミュニケーション | 10:04 | - | trackbacks(0) | - | - |
      急ぐ復興は誰のため?
      0
        リスクを防ぐために防護を促すはずのリスクコミュニケーションが、「事態はたいしたことがないのに、不安に思う心に問題がある」とされながら、不安な心を取り除くために展開されていることにより、事故の影響に対し危機意識を持つことは阻まれ、それによってできるはずの防護もできずに、人々は無駄な被曝を重ねています。
         
        そのリスクコミュニケーションが、原発を推進する側が幹部を務める法人が税金を使って担っているという構図を見れば、「せめて影響を受けやすい子どもたちには予防を」と、いくら防護を呼びかけても、全く歯が立たないという虚しさでいっぱいになります。
         
        原発事故の健康不安対策 原発関連財団請け負い
        http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201511/CK2015112502000121.html
         
        原発事故から間もなく5年を迎えますが、この事故の責任はいまだに誰も取らないために、被害を受けた市民は、自分たちの力でもとの生活を取り戻さなければならず、痛みを受けていても受けていないと言わなければならない復興は、一体誰のためなのかという事態を招いてしまっています。
         
        影響を受けていない・・・つまり汚染の実態がないと言ってしまえば、様々な補償や賠償の必要性はなくなってしまうわけですが、それでも被害者は、権利を求めることすら放棄しながら、元気に頑張っている姿をアピールしなければなりません。
         
        「影響は受けていない、これは風評被害なんだから大丈夫だ」とアピールをすれば、その先には、自主避難者の避難の権利は奪われ、強制避難を強いられている双葉郡までもが帰還の対象となって、「帰ることができるのに帰らないことを選択している」と自己責任を取らされるという理不尽さが待っています。
         
        また、健康被害がどのような形で表れるかも分からない、未曽有の大事態であるという意識も奪われしまっていますが、たとえば癌に至らずとも、なにかしらの不調があった場合、原発事故の影響の可能性があるのでは?と考えることも否定されてしまうということになります。
         
        小児甲状腺癌の原因すら、原発事故との因果関係を認めていないということは、つまりそのようなことになるということです。
         
        まだまだ結果を出すには早すぎることばかりでありながら、「影響はない」と断定してしまう強行さには、この国のあり方がよく表れていると感じます。
         
        人々の捉え方によって分断を強いられてしまったあの混乱の時に、事態を封じ込めるための様々な思惑までを受け入れてしまい、「風評被害」だとしてしまった結果、気が付けば、このようなことになったのだと思いますが、原発事故によって何を奪われ、それによって未来がどのように展開していくのかということを、一歩下がって客観的に見つめて軌道修正しなければ、取り返しのつかないことになってしまうのではないかと焦る気持ちでいっぱいです。
         
        被曝量「国内外で差はない」 福島高生、英学術誌に論文
        http://www.minyu-net.com/news/news/FM20151127-031204.php
         
        子どもを使った安全アピールも溢れていますが、未来ある高校生たちに、このような結論を出させ、防護ではなく被曝を重ねさせながら事故を葬るために利用しているこの事態の深刻さは、とても異様なものです。
         
        こんなことをしてでも急がなければならない復興は、誰のためなのでしょうか。
         
        それは、これから生きる未来ある子どもたちのためではなく、原発事故をなかったことにしてしまいたいという意図を持つ存在のためなのでしょう。
         
        被害を受けた市民たちは、郷土愛を利用されながら事態の過小評価のため、事故の封印のため、安全神話再構築のためにはたらかされてしまっています。
         
        原発は経済活動である以上、事故が起こってしまえば必ずこのようなことになり、大切なものを手放しながら事故の実態を隠さなければ復興することはできません。
         
        目には見えない放射能汚染を生み出す原発事故は、当事者が当事者であることを自覚することが難しく、福島の問題として幕引きをしてしまえば、この支配構造から抜け出すことは難しいのだと思います。
         
        火を着けた者が消しながらも利益を受け取り続けるという構図に対して、大きな理不尽さを感じ、心が動き、身体が動き、変えるための動きに至るためには、一体なにが必要なのか、どこがカギを握っているのだろうかと見つめています。
         
        理不尽さに敏感であるかどうかの分かれ道・・・
         
        これまでも存在していたすべての問題に共通することだなと、鈍感だった自分を恥じる日々でもあります。

         
        posted by: クリキンディ | リスクコミュニケーション | 17:55 | - | trackbacks(0) | - | - |
        リスクコミュニケーションが被災地にもたらす苦しみ
        0
          原発事故の被害を受けてしまったという現実の中で、これ以上の被曝を重ねないために、日々の暮らしをどのようにしていったらいいのかという防護のための知識は、本来であれば誰もが分かるような形で、平等に得られなければならないはずですが

          「これぐらいであれば健康被害はない」と、予防原則、防護のスタンスをとらない国や行政、メディアの情報によって、正しいリスクコミュニケーションは、存在しないものとなってしまっています。

          その結果、防ごうとすれば防ぐことができるはずの、無駄な被曝を重ねながら、放射能による感受性の強い子どもたちまでも、守られることなく暮らしているという実態がここにあります。

          そのような中、事故直後の混乱の時に、掴みきれなかった大切な情報なども振り返りながら、私たちはどのような被害を受け、それによってどのような影響を受ける可能性があるのかを伝え、必要な防護を促す『ママcafe』は、開催するたびに参加者から驚きの声があがる場ともなっています。

          先日、5月22日に行われたカフェでは、そのような情報や、子どもたちの過ごす環境の汚染の実態を伝えたあと、ディスカッション形式で、参加者ひとりひとりの声を聞く場を設けました。
          http://ameblo.jp/chamomile311/entry-12034124605.html

          原発事故後、誰がなにを思っているのかが分からない状態となり、本音を話すことは、時間の経過と共にとても難しいこととなっていますが

          子どもたちを守りたいという母親の思いで開催されるこのカフェは、「自分ひとりではなかった」という安心感を得る場となっているため、お友だちにもその感覚を得て欲しいと、参加者のくちこみによって、情報は広まっているようです。

          初めて参加したという母親は、マイクを持った途端に泣きはじめ、「この場に来るまで、自分だけがこんな風に不安に思っていると思い、悩んでいた」と、苦しい胸のうちを語り始めました。

          夫や姑からも、放射能に不安を抱くこと、子どもを守るために気を付けたいという思いを否定されていたのだと・・・

          その苦しみは、カフェに誘った友人にさえ話すことなく、これまで自分だけのものとして抱えていたということが、原発事故の問題の深刻さを物語っており

          安心安全を促しながら展開されているリスクコミュニケーションが、こういった苦しみを生み出しているということも、重大な問題として受け止めるべきであると感じます。

          起こったことは事実であり、汚染が存在することも事実です。

          放射能は目には見えないということが、こういった混乱を招く原因のひとつかもしれませんが、母親がこの緊急事態の中で我が子を守るという当たり前のことを否定するこの社会のあり方は

          未曽有の出来事を経験しても尚、大切なものはなにかを学ぶことのできない悲しさとして、冷たく存在します。

          抑圧された悲しみや苦しみは、無理矢理蓋をしたとしても解決するわけではなく、その分なにかを傷つけ痛めつけることになってしまうということに、私たちは危機感を覚えています。

          防護を促すことをせず、リスクの可能性も認めず、安心安全を繰り返すリスクコミュニケーションのあり方を見直す必要性を、改めて感じています。







           
          posted by: クリキンディ | リスクコミュニケーション | 14:01 | - | trackbacks(0) | - | - |
          〜リスク・コミュニケーション コミュニケーションの危機を語ろう〜
          0

            『脅威の社会に服従していいのか?リスクの社会を受け入れていいのか?』

            〜リスク・コミュニケーション コミュニケーションの危機を語ろう〜

            使用言語:日本語 (通訳なし)

            日時: 2015年06月14日(日) 10:00 - 18:30
            場所: 日仏会館フランス事務所 1階ホール
             

            人間の営みが引き起こした最も大きな脅威のひとつが、2011年の震災のときの福島第一原発の事故で具現化されたにも関わらず、再びリスク・コミュニケーションという言葉が浮上するようになって2年が経とうとしている。
             

            巧みな言葉の錬金術により、人間が引き起こすリスクと自然災害によるリスクは、「リスク」というカテゴリーで一括りにされてしまっている。原因管理について考えることは、もはや今日的意義がないように見えるが、ウルリッヒ・ベックの著書のタイトルにあるような、例外的な状況を普通としてしまう恐れのある社会である「リスク社会」を生きるのを認識することは我々の今後の課題である。今日のリスク・コミュニケーションの役割とは何なのだろうか。どのような目的で、誰に向けられているのだろう。リスク・コミュニケーションは情報ツールか、防衛の手段か、それとも、忍従、服従化のための道具なのだろうか。
             

            【登壇者】島薗進(上智大学)、長谷川公一(東北大学)、鵜飼哲(一橋大学)、セシル・浅沼=ブリス(CNRS)、國分俊樹(福島県教職員組合)、後藤忍(福島大学)、名嶋義直(東北大学)、神田靖子(大阪学院大学)、影浦峡(東京大学)、鈴木真理(はっぴーあいらんどネットワーク、郡山)、千葉由美(いわきの初期被曝を追及するママの会)、鴨下祐也(避難生活を守る会)
             

            【学術責任者】セシル・浅沼=ブリス(日仏会館・日本研究センター、CNRS、Clersé)
            【主催】日仏会館フランス事務所、 Clersé (フランス国立科学研究センター・リール第 1 大学)、LIA HPDR
             

            当日プログラムPDF
            * 参加者限定の研究セミナー等を除き、特に記載のない限り、日仏会館フランス事務所主催の催しはすべて一般公開・入場無料です。席数に限りがございますので、事前のお申し込みをお願いいたします。

            posted by: クリキンディ | リスクコミュニケーション | 12:56 | - | trackbacks(0) | - | - |
            『アドボカシーカフェ』開催のお知らせです
            0
              http://socialjustice.jp/p/20150612/
               

              ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第37回

              『原発事故後の言葉と民主主義』
              リテラシー・ワークショップVol.3
              〜背後にある情報の意味に気づく〜

               風評被害、風評払拭、放射能「安全」、復興目途、因果関係認めず、などの言葉が蔓延しています。これらは、本当に必要な情報を伝えているでしょうか。原発事故直後から、そして時が経つにつれ、伝えられる言葉の崩壊はますます深刻化しています。専門知識がないから理解できそうにないと情報の意味を考えず、一部の専門家のみに決定と責任をあずける姿勢がこの現状を後押ししています。知識の有無にかかわらず、言葉をシンプルにひも解くことで、背後にある情報の意味に気づき、自ら判断し、行動の選択につなげていく、リテラシー・ワークショップを開催します。生まれながらにして誰もが持つ、言葉と認識、またその権利を見つめ直します。講師・モデレーターの影浦峡さんとともに、ひとりひとりが情報に適切に反応し、開かれた社会づくりにかかわっていくことを始めませんか?


              ■講師・モデレーター: 影浦 峡さん

              東京大学教育学部・マンチェスター大学科学技術研究所卒、博士(PhD)。現在、東京大学大学院教育学研究科教授、所属は図書館情報学研究室、専門は言語とメディア。著書に『信頼の条件:原発事故をめぐる言葉』(岩波科学ライブラリー)『3.11後の放射能「安全」報道を読み解く 社会情報リテラシー実践講座』(現代企画室)など。オンラインの翻訳支援、『みんなの翻訳』プロジェクトを中心となって運営している。( http://trans-aid.jp/ )


              ■共催:
              ・市民科学者国際会議
              l政治、経済、イデオロギー、宗教から独立したNPO法人として、東京電力福島第一原発事故による放射線の健康および環境への被害を可能な限り低減するための活動を行ってきた自由な市民によって設立された。放射線の健康影響に関する世界の最新の科学的知見の収集と共有、国内外の団体とともに議論の場の提供、効果的な放射線防護対策を最善の形で生かしていけるよう国際的なネットワークの発展に尽力している。(http://csrp.jp/ )

              ・はっぴーあいらんど☆ネットワーク
              東日本大震災後、市民が集まり活動を始めた。イベントやワークショップを年間通して開催、特に年に一度開催される『はっぴーあいらんど☆フェスティバル』は県内外から多くの来場者、参加者が集まる。原発事故後の福島を正面から向き合い様々な問題を共有しながら今を見つめ未来を考える活動をしている。(http://blog.canpan.info/happyisland/ )

              ■日時: 6月12日(金) 18:00〜21:00 (開場17:45)
              3時間特別企画、開始時刻にご注意ください。
              終了後、懇親会を近隣にて開催します。どうぞご参加ください。

              ■会場: 新宿区若松地域センター 2階 第1集会室
              東京都新宿区若松町12-6 (大江戸線・若松河田駅 河田口 歩2分)

              ■参加費: 一般1,000円/学生500円 当日受付にてお支払ください。

              ■お申込み: こちらから 事前にご登録ください。
              ■ご案内レター: こちらから   250リテラシー・ワークショップ SJFアドボカシ―カフェ広報テキスト
              ■主催・お問い合わせ先:認定NPO法人まちぽっと ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)
              Tel 03-5941-7948、Fax 03-3200-9250、

              メール info[あ]socialjustice.jp (送信時には、[あ]を@に変更ください)

              posted by: クリキンディ | リスクコミュニケーション | 12:54 | - | trackbacks(0) | - | - |
              リスクコミュニケーションの正しいあり方を目指して 
              0
                リスクコミュニケーションとは、不安を取り除くために安心を押し付けることではなく、不安の原因を取り除くために具体的な策を講じることです。

                この状況下において、大切な子どもたちをどのように守っていったらいいのかと、多くの負担強いられてしまった子育て世代の母親たちは、子どもたちを追加被曝から守るため、具体的な行動を起こしました。

                『TEAM ママベク 子どもの環境守り隊』
                http://iwakinomama.jugem.jp/?cid=17

                一通りのモニタリングと除染が行われたと言われる子どもたちの環境は本当に安全なのか、事故前と比較して、増えたリスクはどの程度なのかを確かめるため、空間線量や土壌の汚染を測定したところ、楽観視はできない実態を知ることとなりました。

                この測定活動はいわき市教育委員会と除染課、子育て支援課、いわき市民放射能測定室「たらちね」の協力のもと行っており、測定の結果については教育現場と行政ともデータを共有し、たらちねのホームページにもアップしています。
                http://www.iwakisokuteishitu.com/mamabeku.html

                いわき市内の小学校、中学校、保育所、幼稚園と、教育現場の測定を一通り終え、今現在は結果の報告のための作業を行っています。尚、今後の活動につきましては、決まり次第お知らせをさせて頂きます。

                原発事故は今なお収束の目途も立たない状態であり、大量の放射性物質が放出され続けているという実態がありながら被害を受けている市民がその実態を知ることが困難になっており、楽観視することを促す情報に囲まれてしまっていることは、とても不思議なことです。

                新たなホットスポットが見つかることは当然のことであり、モニタリングも除染も、これからも定期的に継続していく必要があるということは、目に見えるデータが示しています。

                現実に向き合うことを否定するような安心の押し付けではなく、現実的な安心を目指すことが「子どもの未来のため」という辺りに溢れた空虚な言葉を実態のあるものとしていくのだと思います。

                子どもの未来を預かる大切なポジションにいながら日々の暮らしに追われ、なかなか情報にアクセスすることができないという子育て中の母親は多数存在しています。

                不安に思いながらも、その思いを口に出して言うことは難しく、誰がなにを思っているのか分からないという世界がここに存在しています。それは、様々な立場を思いやればこそのものでもあり、分断を恐れるゆえのものでもあります。
                時間の経過と共に問題はますます複雑化しており、多くの矛盾を抱えながら、吐き出す場所がない息苦しさが、私たちを覆っています。

                支え合うコミュニティづくりを目指すため、楽しいカフェを開催しながら『ママベク』の測定結果や行政の対応についてなどの報告も行っている『ママcafeかもみーる』は、実態を伝えながらリスクを回避するための策を講じる場ともなっています。
                http://ameblo.jp/chamomile311/entry-12012487337.html

                参加者たちからは、『ここに来てやっと本音を話すことができた』という声が多く寄せられるのですが、家庭の中にも存在する原発事故に対する捉え方の違いについての苦しさが、時間が足りないほどの勢いで解放される場ともなっています。

                測定の結果を伝えると共に、その結果を受けての行政の対応を伝えることにより、『どうせどうにもならない』という諦めは改められ、『市民が動くことにより改善できることもある』という希望を抱くことにも繋がります。

                カフェで上がった意見や質問は、行政との協議の際にお伝えさせて頂いておりますので、その声が生かされる可能性もあります。

                このような経験は誰もが初めてのことです。具体的にどのようにしていきたいのかというビジョンを、ひとりひとりが持つことにより、その思いが重なり、未来へつながる足跡を残していけるのだと思います。

                責任ある大人としての生き方が問われる今、出来る限りのことをしながら、やさしい未来の実現を目指していけることを願います。
                posted by: クリキンディ | リスクコミュニケーション | 12:42 | - | trackbacks(0) | - | - |
                あれから4年、リスクコミュニケーションが私たちから奪うもの
                0

                  原発事故から4年が過ぎようとしています。
                   

                  私たちにとっての日常は、どんなものであったのか、今となっては思い出すことも難しい、原発事故前の日々。
                   

                  過去と現在を分けることになった原発事故は、今も全く収束の目途も立っていないというのに、1時間ほど車を走らせれば着くほどの近い距離に住む私たちにとっても、その惨状を実感することは難しくなっています。

                  遠い所に居れば尚のこと、おそらく年に一度のイベントとして振り返るような、そのような存在になってしまったのかもしれないと、原発事故をテーマにする記事や番組が多くなったここ最近を眺めながら、そんな風に感じています。

                   

                  原発事故の被害に遭った私たちが、日々の暮らしは一変したと思うか思わないか、今、目に映る、明るい復興を伝える様々な情報やPRに、違和感を抱くか抱かないかは、原発事故の実害を知るか知らないかによって、大きく分かれることとなりました。
                   

                  大きな違和感を抱き苦しみながらも、真実を知って、最善を尽くすために向き合っていきたいというのが、子どもの未来を案ずる私たちの思いですが、そうした思いも今となっては肩身の狭いものとなり、正面から堂々と被曝の危険性を話せば、まだそんなことを言うのかと、時代錯誤のような扱いをうけるようにもなっています。
                   

                  風評被害という言葉が広まったことにより、私たちは今、「実態のない放射能被害に対して不安を抱き続ける問題のある人」という強引な決めつけによって、不安を抱くことを否定され、手放すことを急がされています。
                   

                  国が膨大な予算を投じて行っている「リスクコミュニケーション」は、放射能に対する不安な心を取り除くために、あらゆるところで展開されており、専門家や医者たちが、今現在の内部被曝のデータを見せ、癌の要因や他のリスクと比較をしながら、放射能の影響はないと安心を促します。

                  「説明を聞いて安心した」という意見が殆どであったと、住民たちが不安を手放して被害を受け入れたという結果を積み上げることによって、なにを成し得ようとしているのかを考えれば、簡単に安心を受け入れてしまうことが、どれほど危険なことなのかということは理解できるはずですが、疲労感により、不安を手放して楽になりたいと思う気持ちも、否定しきれるものではないのかもしれません。

                   

                  不安を取り除くことによってなにが改善されるのかと言えば、汚染がなくなるわけでもなく、被曝の影響が軽減されるわけでもありません。

                  具体的な対策は進まないまま、不安を取り除くことのみを急かされることを、受け入れてしまってもいいのでしょうか。

                   

                  いつまでも強情なことを言い続ける頑固者のような扱いを受けながらも、おかしな説明が繰り返される意見交換会で、子どもの健康を守るためには予防原則に徹することが大事だと言い続ける存在は、今となってはとても珍しいものとなってしまいました。

                  譲れぬ思いをどこまで貫くことができるかという精神力が試されるステージは、だれが好き好んでそのような場に参加するのかというような過酷なものとなっています。

                   

                  市民を募集すると言いながら、ほとんどが行政の関係者という参加者たちは、不安を解消させるためにはどうしたらいいのかと、始めからそんなことを口々に言いながら、安心を受け入れることを許してしまった存在です。
                   

                  そもそも、リスクコミュニケーションとはリスクを減らすための改善策を話し合うことであり、具体的な改善策も進まないまま、安心を押し付けるリスクコミュニケーションに対し、おかしさを否定できないことは、原発を受け入れたこと同様に、権利を放棄してしまったということなのではないでしょうか。
                   

                  原発というモンスターは、事故が起こっても尚、人々の心を支配し続け、大切なものをどんどん奪っていきます。
                   

                  事故によって日常も大切なものも奪われてしまったのに、更に差し出し続ける理由はなんなのかと、クレイジーなリスクコミュニケーションに呑まれてしまっているこのおかしさに、疲れ果てた心から血を流しながら迎える、あれから5度目の3・11です。

                  posted by: クリキンディ | リスクコミュニケーション | 01:51 | - | trackbacks(0) | - | - |
                  もとの生活に戻るためのお手伝い・リスクコミュニケーション
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                    国が膨大な予算を投入しながら大展開させている「リスクコミュニケーション」は、これまで行われてきた大人数を対象にした講演会形式から少人数制の円卓形式に変わり、より近い距離で市民の声を聞きながら、不安を解消させるためのコミュニケーションを深めることが目指されています。

                    原発事故の被害を受けた住民が、放射能の影響に不安を抱くことを否定され、しかも安心は外側からの押し付けだけではなく、内側に居る住民たちもそれに加担しながら、原発事故という事態に反応する住民の姿勢を批判するという、おかしなことになっています。

                    2月12日に行われた「食品に関するリスクコミュニケーション」について
                    http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000071214.html

                    今現在のホールボディカウンターによる内部被曝検査のデータを示しながら、放射能が人体に与える影響はないとする説明に、地元住民たちは安堵し、現状を受け入れていきます。

                    ペットボトルの水を購入することや、県外産の食品を購入し続けることは困ったことだと言いながら、この不安を取り除くためにはどうしたらいいかということが大真面目に議論されており、いまだ収束の目途も立たない原発事故という根本の問題はどこに飛んでいってしまったのか、核実験が行われていた頃のほうが汚染は酷かったというすり替えを用いて、この原発事故の影響を軽いものだと印象付けます。

                    論点のおかしさを紐解いて目線を整えることは、被害者という立場に立てばますます必要であり、いつまでこのおかしさに巻かれていなければならないのかというもどかしさを感じながら、力をつけることの重要性を痛感します。

                    「もとの生活に戻るためのお手伝い・・・」

                     
                    もとに戻れるものならば、戻してほしい、今すぐにでも。

                    その言葉がいかに残酷であるかも分からない、心を持たない存在に踏みにじられ

                    それでも傷の痛みを麻痺させないようにと、大切なものを守りたいという思いにも塩をすりこまれ

                    リスクを低減させるための具体的な動きは進まないまま、不安だけを取り除くとは

                    原発事故による被害を受けた私たちは、この屈辱を受け入れるべき民なのでしょうか。


                     
                    posted by: クリキンディ | リスクコミュニケーション | 07:57 | - | trackbacks(0) | - | - |