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7年7月8日2018.10.18 Thursday
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2011年3月11日を節目として数えるという新たな暦。
今を記録に残そうとすると、必然的にそんな数え方になってしまう。
フクシマ暦?
カタカタ表記はやっぱり嫌だけど、それが適切なのかもしれない。
2011年3月11日から数えて7年が過ぎ、その10日目ぐらいに発表されたモニタリングポスト(リアルタイム線量測定システム)の一部(2400/3000台)撤去計画。
住民が声をあげ、各自治体の首長に要請書を提出し、議会に請願や陳情をして、各議会は国に意見書を提出して撤去計画の中止、モニタリングポストの継続を求めてきた。
それにも関わらず今、住民説明会への参加人数の少なさが取り上げられ、「やっぱり反対しているのはいつもの人たちじゃないか」というまとめがされてしまいそうな気配が漂いはじめている。
撤去はされないほうがいいとは思うけれど、具体的な動きをするまでには至らないという諦めのようなムードには理由があり、事故をなかったことにしようとする必死の国策に立ち向かうエネルギーを暮らしの傍らに持ち続けるということは、そんなに簡単なことではない。
だから、「なぜ声をあげないの?」という問いに対しては、「同じ経験をしてみればきっと分かると思いますよ」と答えるしかないのかもしれない。
原発事故により汚染された事実、それによる影響に対して言われている「フクシマ差別」や「デマ」といった説については、一見、被災者擁護の優しさのようにも見えるが、原発事故の加害者の罪を容認し、原発事故の幕引きに手を貸し、過ちを正すというあるべき姿勢を抑え込むものに他ならない。
長い歴史の軸の中に身を置き、国境を越えた様々な問題の当事者たちとつながれば、原発事故は巨大な人権問題だということに気づくだろう。
フクシマ暦の原点に戻ってあの時の記憶を呼び起こせば、過ちを正さなければという思いが自分の中に込み上げたことを思い出す。
時間が与えてくれるクールな視点により、感情を脇に置くことはできるようになったけれど、それでも湧いてくるこの乾いた悲しさは、それなりに活力の邪魔をするから厄介だ。
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屈辱的なこと2017.09.03 Sunday
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ここに住んでいるからといって受け入れたわけではない
何度も何度も繰り返す言葉。
幕引きを狙った復興イベントに足を運ぶということは
とても屈辱的なこと
楽しい施設や新しいお店がどんどんできても
喜んで受け入れることは屈辱的なこと
それで暮らしが豊かになるわけでもなく
豊かさの根本は、すっかり奪われてしまったのだから
失ったものを忘れてはいけない
そこを埋めることなんてできないのだから
失って気付いたことを忘れてはいけない
もうもとには戻らないのだから
私たちは大きなあやまちを認めなければならない
そして、改めなければならない
誤魔化すための魔法にかかってはいけない
騙されて浮かれていてはいけない
そこに足を運ぶということは
幕引きを受け入れるということ
そこに足を運ぶということは
原発事故の影響を、大したことないと伝えてしまうこと
もうもとに戻ったという嘘が
まかり通ってしまうことを許してはいけない
改めるという宣言を貫くために
抗い続けることは孤独だけれど
孤独なままではなにも変わらない
道は果てしない
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あれから5年、原発事故のまとめの時2016.02.26 Friday
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「あれから5年」という言葉を目にするたびに、これでいよいよ幕引きか・・・という虚しさが込み上げます。
5年前のあの時は卒業シーズンでもあり、新入学を目前に控えた希望の時でもありました。
あの年の桜がいつもとはまったく違って見えて、その姿を綺麗だと思うことにすら後ろめたさを感じたことを思い出しますが、野に咲く花やサラサラと流れる小川、キラキラと輝く新緑の美しさなど、当たり前だと思っていた景色が汚れてしまったという現実を受け入れることはとても難しく、奪われたものの大きさを自覚することや、目には見えない被害と向き合うことには、その後さらに難しさが増していくこととなりました。
この5年でなにが変わったかと言えば、そういった難しさを抱え続けること、自覚し続けることから解放されて、もとのように暮らすことを選ばざるを得ない状況に拍車がかかったといういうだけで、汚染の事実が消し去られたわけも、人々が救済されたわけでもありません。
影響を受けやすい子どもたちさえも守られず、被曝の影響は過小に見積もられ、受け入れることを強いられ続けています。
汚染がありながらなぜそこに住み続けるのかという質問は、これまで何度も何度も投げられてきましたが、なぜ住み続けなければいけないのかの根本的な原因を探り、人々に理不尽さを強いるこの社会構造を変えるためにはどうしたらいいのかと探ることをしなければ、問題が前進することはないのだと思います。
人々の選択に目線を集中させるのではなく、その選択に至った原因に目を向けて、共に権利を主張し、改善に向けて具体的に動くという流れが起こっていくことを願い続けます。
「人々の権利を奪い、一生を狂わせた恐ろしい原発事故」は、このように表現をすることすらもそのうち禁じられる時が来るのではないかと感じるほどの強引さで、必死の幕引きが行われてきた5年間でした。
しかし、その必死の幕引きをさせまいと必死に抗う人々は「特別な活動家」というカテゴリーに入れられてしまうため、声を挙げることすらも、容易なことではありません。
同じ立ち位置に居ながらもその目線が生まれる理由についてはとても根の深い問題で、人と違う意見を持つことやそれを表明するということはとても大きな恐怖なのだと感じます。
例えば楽しいイベントや、役に立つセミナーやシンポジウムなどを催して人々を集め、そこに参加すれば「不安を手放して安心を受け入れた」人数にカウントされることになるリスクコミュニケーション事業が、原発事故の幕引きのために行われているということも、世の中の理不尽さに抗う目線がなければ理解することは難しいのかもしれません。
大切なものを守るためには、この社会がなにを目指し、どこに向かおうとしているのかを根本から見つめなければならないのですが、5年が経った今も麻痺状態を促す流れにのみ込まれずに真実を追及し続けるということは、とても難しいというのが正直なところです。
「人々の権利を奪い一生を狂わせた恐ろしい原発事故」の後、まさかの再稼働に至ってしまったことは受け入れがたい悲しみですが、原発を推進する力に加わってしまう「それでも信じ続けたい」という思いを否定せずに、つながりながら歩みを共にしていくためには、どうしたらいいのかと、心を鎮めながら願う日々です。
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望まない未来へと2015.02.11 Wednesday
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あと1か月であれから4年という日がやって来ます。
そんなことに気づいたのもついさっきのこと。
どんどんもとの暮らしに戻っていく流れを見送り、いろんな思いは飲み込みながらも、根本の気持ちはきっと今も変わらないと信じることだけは手放さないようにと、自分に言い聞かせる日々です。
原発事故だけじゃない、いろんなことがどんどん不穏な方向へと流れて行き、望まない未来が目の前まで迫っている危機を感じます。
何かが起こった時の対応は、誰のために、なんのためになされるのかということを、原発事故後の様々な動きの中から見せつけられることになった私たちは、リアルを知りすぎてしまった存在なのかもしれません。
あり得ないようなことが平気であり得てしまうということや、人々の悲しみはどんどん葬られながら、受け取る者だけがとことん受け取り続けるという構造は、よほどの信念を持って貫く覚悟が集まらない限りいつまでも続き、それはどんどん拡大していくということも現在進行形で見つめています。
いまだに続いている将来影響があるかどうかという呑気な議論は、誰を守るためで、なにを守るためのものなのでしょうか。それが被害を受けた弱者のためではないことで、もちろん子どもの未来を守るためのものではないということは、分かり切ったこととなりました。
情報は巧みに操作されながら運びたい方向へと意識を動かされ、大きな流れにのみ込まれ、目の前の大切な存在すら守り切れない事態はやがて拡大し、自分の手から奪い取られていくことになることが現実のこととなるかもしれない・・・未曽有の出来事が起こり、世の中を変えようと人々が立ち上がり、生き方を見つめ、大切な存在を再認識した4年前。
こんな風に不穏な方向へと突き進むことは、本当は誰も望んではいないはずなのにと、深い悲しみが心を覆います。
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原発事故の内側と外側2014.09.16 Tuesday
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福島でなにが起こっているのか知りたいと、全国から、時に海外から、子育てをしている立場から話をしてほしいと、いろんな方からの依頼を頂きます。
先日、そのような場面で「正面から戦っている」と言われて、はっとすることがありました。
正面から戦っても結果をもたらすことはない。
その言葉に、悲しい気持ちを抱きながら、いつから私は戦う立場に立ってしまったのかと、ふと我に帰るような瞬間でした。戻れるものなら戻りたいという気持ちでいっぱいになりながらも、きっともうもとには戻れないことも分かっている・・・仕方がないと諦めながら、そういった例えを受け入れている今でもあります。
「風評被害」という言葉によって、原発事故による影響や汚染の実態には蓋をされ、安全な情報ばかりが私たちを取り囲んでいます。危機感を持って身を守るようにという情報は、今となっては皆無に等しく、それによって、守ろうと思えば守ることができることも阻まれてしまっています。
この大罪は、のちにどのような結果をもたらすのかは分かりませんが、できることにも取り組まず、さらなる被害の拡大を止めることもせず、楽観的なこの状況をよしとして、事態の風化を許す様子を見ていることは、メンタルに大きなダメージを受け続けることでもあります。
そんなことに騙されてはいけないと声を挙げ続けることが、いわゆる「正面から戦う」ということで、「子どもたちを被曝から守るために、対策を取ってほしいのです」と、声を挙げ続けることも、「正面から戦う」ということなのでしょう。
実害はないという意味の「風評被害」という言葉が存在する以上、被害を抑えるための対策を求めることは非常に困難です。
困難なことを続けることもまた、とても厳しい状態で、「放射能に不安を持っている母親」というカテゴリーに入れられてしまった今となっては、「風評被害」という言葉と同様に、実態がないのに訴え続けている存在とされてしまっているのでしょう。先日の内閣改造では、女性閣僚の登用が注目されましたが、ある女性閣僚が起用された理由は、「放射能アレルギーを持っているのは、子育て中の母親が多い」という、放射能アレルギーの母親対策のためで、それは原発再稼働のためであると、報道解説員がさらりと語っていました。
全世界に影響を及ぼすほどの重大な原発事故が起こり、大量の放射性物質が拡散されているという事実や、今も原発事故は収束しないまま、深刻な状態であるという事実は、どこに行ってしまったのかと、焦りや絶望感を覚えます。
原発事故の被害を受けている福島。
放射能の影響を受けている福島。
問題を福島だけのことと小さく限定することにより、内側と外側という立ち位置ができあがり、重大な原発事故の影響は、福島だけにとどまった問題で、内側の人々がどのように暮らしているのか、どのように感じているのかという目線が外側に存在しているということは、国が期待した通りの結果だと感じます。原発事故から3年半が過ぎ、その実態が葬られてしまいそうな今、当事者であるという自覚を持つことは、なかなかできないのも無理はないのかもしれません。「困っている福島の人々を救済しなければならない」という目線を外側に持たせ続けることによって、問題をひとつのところだけに小さく集中させ、事態を収めたいという思惑は成功しているということにも、そろそろ気づくべきであり、この、内側と外側の間にある壁を取り除くことが、原発の再稼働を止めるためのカギなのではないでしょうか。
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原発事故の果てにある世界2014.08.03 Sunday
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今年の3月に、とあるイベントに寄せた原稿に少し手を加え、ここにアップ致します。
子どもたちの学校給食で地元のものを急いで使えと言う原発事故後の被災地での動きに対し、私たちは汚染の可能性のあるものを、放射能の影響を受けやすい子どもたちに急いで食べさせることをしないでほしいと、給食についての決定、判断を行う教育長と市長にお願いを続けています。
子どもを内部被ばくから守るための全国署名活動も展開させながら、子どもに追加被曝を強いる動きを止めようと、力を尽くしているところです。http://ansinmama.jugem.jp/?eid=10その署名の締め切りは9月1日で、残り1か月を切ってしまいました。
ここで暮らしながら、地元のものを食べさせることをしないでほしいという声を挙げることは、かなりの厳しさを伴います。
その厳しさをご理解頂き、全国、全世界に向けて、応援を求めさせて頂きたいと思っています。
どうぞ、よろしくお願い致します。
ここにアップする記事は、内部では批判の対象になるかもしれません。しかし、これは事実であり、低線量被曝の中、子どもたちにはこれ以上の被曝をさせてはいけない!!という援護の声が、あまりにも少なく、これまで出会った専門家たちでさえ、この件で共に声を挙げて頂けないでしょうか?とお願いすれば、気まずそうに背を向けられるような問題です。私たちの主張を後押しする存在がいないという心細さの中、批判されようと、この実情を訴えて応援を求める以外、方法がないという苦しい状況を伝えたいという思いです。意を決してのアップです。どうかご理解ください。
「原発事故の果てにある世界」あれから3年・・・。
風化という声が、全国から届けられる中、被災地の様子を知りたいと、各メディアが次々と取材に訪れています。
大きく取り上げたい内容はと言えば、子どもたちの健康被害について、甲状腺に異常のある親子の様子を知りたいというものが主であり、そこだけ切り取って伝えたがる目線に、他にも早急に伝えたいことがたくさんある私たちは、深い悲しみを覚えます。
子どもたちはいまだ守られずに放置をされています。
挙句の果てに、リスクを抱えた子どもたちが、積極的な内部被曝の強要をされるというおかしな事態になっているので、大急ぎでその動きを阻止しなければ、大変なことになってしまうかもしれない。
それをいくら必死に伝えても、話題性のあるネタは、子どもたちの「健康被害」についてのことのようです。私たちは今、子どもたちが学校給食で汚染の可能性のある地元の農産物を、急いで食べさせられようとしていることに対して、辞めてほしいという声を挙げています。
福島県のほとんどの自治体では、子どもたちの学校給食で地元のものを使うことを受け入れており、原発事故によって被曝させられた子どもたちは、風評被害払しょくのため、復興のためという大人たちの判断によって、更なる追加被曝を日々強要されています。
私は先日、とあるイベントに参加しましたが、その中での様々な立場の方のお話のひとつとして、有機農業をされている方のお話がありました。
自分が作ったものは安全であり、検査をしてもセシウムが検出されていないのに、なぜ価格が下がるのか。これこそが風評被害である。
そして、学校給食で使うことに反対の声が上がっているが、なぜ受入れることができないのか、というようなことをおっしゃっていました。
原発事故の被害者としては同じ立場でありながらも、責任の所在が定まらないことで、市民の間では誤った対立構造が生じています。
原発をなくすための目指す項目のひとつには、「子どもを被曝から守る」ということが書かれています。
それとこれとがどう違うのか、農業を守れば子どもが守られずという構図は、大人の判断次第でいくらでも変えることができるはずなのに、いまだにその軸は立ちません。
被害を受けた市民たちは、曖昧さを許しながら、現実に向き合わないようにと誘導されることを受け入れており、その結果子どもたちが矢面に立たされるという状況を作り出しています。
私たちと同じ意見でありながらも、具体的なアクションを起こせずにいる保護者は多数存在しています。
給食の地産地消についての問題は、本当に難しく、協力を求めてもみな背中を向けて逃げて行き、脱原発の声を挙げている人でさえ地産地消に触れることはできない。
難易度で言えばトップに上がるほどの難しいテーマになってしまっています。
「お国のために行って参ります」と、戦場に向かう子どもを泣きながら見送った歴史は、今も変わることなく繰り返されており、受け入れたくはないけれど、ということを泣く泣く受け入れながら、現実を生きなけれなならない状況がここに存在しています。
子どもたちは覚悟を持たない大人たちによって国に差し出され、安全性をアピールするための道具として企みに利用されています。こんなにも大きな痛みを生み出した3.11。その経験を生かすことなく無駄にしてしまうことは残念なことであり、どんな痛みなら変える力を生むのだろうと、もどかしさは増す一方です。
この時代に生まれてきた子どもたちに、解決の見通しも経たない原発事故の負の遺産を引き渡さなければならないということを意識すれば、心がつぶされそうになります。
私の住むいわき市から北に向かって車を走らせれば、ほんの数十分でまるで違った世界が存在し、人気のない風景やガイガーカウンターの数値は原発事故の現実を見せつけます。
それでもそこに住み続け、子どもを育てている私もまた、曖昧さを許しながら矛盾を受け入れて生きている罪深い大人のひとりです。
せめてもの罪滅ぼしに、ここに生きる子どもたちが最善の策によって守られる柱を立てようと、体制づくりに力を注いでいますが、原発事故から3年が経つ中で、安全神話が復活を遂げようとしていることに、自分の無力さを感じています。
私の娘は放射能の影響を心配する特別な家庭の子どもとして、震災後の1年は特に、みんなと違う行動をとらせることによって、メンタルに負担を与えることになりました。ひとりだけお弁当を持参して、みんなが給食を食べている中でそれを広げて食べるということは、その場面を想像しただけで、心から血が流れます。
その負担を考慮して、1年でリタイヤを決めましたが、彼女はそのことに大きな罪悪感を抱えてしまっていたようで、先日行われた小学校最後の授業参観の、親への感謝状の発表の時に、みんなの前で泣きながらそのことについて私に謝っていました。
心を守れば身体が守られず、身体を守れば心が守られない。そんな残酷なことを強いた、原発事故後の大人たちの対応でした。
みんながこのことに異議を唱えて阻止すれば、いくらでも状況は変えていけるはずですが、お弁当を持たせたいという親がいたと思えば、早く給食を再開してくれという、お弁当を作ることが面倒だという母親も多く存在しました。
全ては情報が正しく伝わらなかったことによる、危機感の違いということではありますが、この問題もまた、もともと存在していた人々の物事への追及する姿勢の違いです。
原発事故が起こっても尚、いまだに原発の話はタブーであり、市民活動は今も特別なこととされています。
原発という根深い利権の構図に加えて安全神話復活への道を許しているのは、事故の影響はないと言わなければ進まない被災地の経済復興を望む人々と、その復興の中に子どもを守る柱は立っていないという構造の誤りに気づいていながらも、お茶を飲みながら傍観を続ける人々です。
いくら脱原発を望んでも、原発事故の果てにある子どもたちへの被曝の強要というクレイジーな事態に「そんなバカなことが許されるか!」と立ち上がり、動く心がなければ、問題の解決にはなりません。
なんのために脱原発を目指しているのかと根本を見つめた時に、子どもたちの未来のイメージと目の前のアクションはおのずと結びつくのだと思いますが、今の動きの中では、大事なところがすっぽり抜け落ちてしまっているように感じます。
このままではなにも動かない。なにも解決などするはずもありません。原発事故による健康被害の実態解明や、それぞれの選択によって抱えた苦悩を伝えることと同時にしなければならないことは、守られないままに放置された子どもたちに、これ以上の被曝をさせないためにはどうしたらいいのかを、大人たちが、真剣に具体的に考えることです。今、早急に必要なことは、目の前の状況を変えるための具体的な動きです。
原発が再稼働に向かうことなどあってはならないことでありながら、いろんなことは市民の希望とは違ったところで有無を言わさずに進められていってしまいます。
原発事故はどこで起こったとしても子どもは守られず、大人たちは復興のために被害をなかったことにすることに躍起になるでしょう。挙句には子どもを差し出して、安全神話を復活させることを選択することになるのです。
この構図を早く壊してほしいと願う私たちは、地元では歩く風評被害と叩かれており、保身のために口を閉ざした人々と、世間体を優先させ、子どものためにも目立つことはするなという家族からのバッシングによって足を引っ張られています。最大の障害は目の前の家族であり、その理解のなさは母親たちを苦しめています。
私たちが意を決して行った、初めての市長への申し入れの後、共にアクションを行ったメンバーは親戚中の吊し上げに遭い、子どもの目の前で夫から引きずり回されるような暴力を受けました。
当たり前に子どもを守ると言うことは、こんなにも大変なことであり、声を挙げれば必ずバッシングを受け、みんなが復興に向けて進もうとしているのに、その足を引っ張る存在として、私たちは郷土愛を持たないワガママな存在とされています。
私たちは生まれ育った福島を守るためにも、子どもたちの健康が守られながらの本当の意味での復興を望んでおり、愚かな選択をして子どもを守ることもせず、挙げるべき声も上げずに理不尽さを受け入れたという歴史をつくることは、大きな屈辱だと思っています。
それでもほとんどの人々は、なんとなくの復興ムードを受け入れており、いろんなことは仕方がないと線を引いてしまっているように感じます。
3年が経つのだからもういいだろうと、なにも変わっていない現状に目をつぶり、明るく元気に進んでいこうという空元気状態には、全力で待ったをかけたいと思っています。
この国は大切なものをすっかり見失い、尊厳を奪われてもそれに気づくこともできないほどの奴隷大国であることを思い知った3年でした。
阿部首相が、状況はコントロールされていると言ったことにも、心の中では憤りを感じながらも、そういうことにしなければ進まない復興の中では、よくぞ言ってくれたというもう一つの目線が存在してしまうという矛盾が、ここにはあります。
ほんとうにこれでいいのでしょうか。
私たちは原発事故の被災者として、内部にも外部にも問い続けながら、具体的なことを今後も続け、子どもを守るための柱を立てて行きたいと思います。
そのためには感情でものを言う母親たちというイメージを払しょくするために、あの手この手で実力をつけていかなければなりません。
そのひとつが放射能の測定活動であり、積み上げたデータを持ちながら、子どもたちはいまだに守られていないという現状を突き付けることは、行政交渉においてもとても有効です。
子どもたちを守るために取られている対策は?と自治体に問えば、モニタリングポストの設置と内部被ばくや甲状腺の検査であるという答えが返ってきます。医療の充実のための努力という言葉を聞けば、結果を待つことしかできないその消極的な姿勢に愕然としてしまいます。
起こってしまったことへの対処と同時にしなければならないことは、これ以上の追加被曝を防ぐために全力を尽くすことであり、そのためには子どもたちの行動に対するあらゆる策が必要です。その目線を持たないままに、管理ということに留まることは、全く持って情けないことです。
私たちは必要性の中から母親目線でどんどん具体的な提案を行っており、行政の怠慢を指摘しながらも穏やかに、にこやかにその要求を続けています。
市民が立ち上がらなければ未来を変えることはできないということを痛感した私たちは、分断を恐れずに生き方を表明する強さを身に着けました。3.11前は普通の母親であり、普通の主婦であった私たちは、いつの間にか戦う母親として矢面に立つことになってしまいました。
今となっては降りることができないところまで来てしまったことを振り返りながら、複雑な思いを抱いています。
この3年の間には、本当にいろいろなことを見せられ、いろんなことを感じてきましたが、原発事故という事態がもたらす現象を、この目でしっかりと見続け、この心でしっかりと感じながら、歴史の中の生き証人として、できるかぎりを尽くしながら未来へ生かしていきたいと思っています。
みなさんと共に、優しい未来を築いていくことを、心から望みます。
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子どもを守ることよりも優先に行われている帰還政策2014.06.28 Saturday
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原発事故後に打ち出された様々な政策の中で、進んでいることと進んでいないことを比べれば、この国がなにを守ろうとしているのかということが分かります。
子どもの未来を第一優先に考えれば、避難させること、追加被曝を防ぐこと、受けてしまったダメージを軽減させることなどを真っ先に掲げてその政策を急ぐことでしょう。しかし、実際はと言えば、それらの政策は一向に進むことなく、これぐらいなら影響はないであろうという見解で、いろんなことはいまだに放置されたまま、子どもたちは更なる被曝を重ねています。
原発事故をもみ消すため、避難している住民を戻すための動きは驚くほどにスピーディーで、まだまだ高線量の中であっても帰還をさせようとする強引さは、クレイジーであるとしか言いようがありません。放射性物質は今も大量に放出され続けているというのに、環境省による除染マニュアルでは子どもたちの教育現場でさえ追加除染を認めておらず、事故前の環境に戻すことを目指すことはとても困難です。安全基準の数値を上げて、それに満たなければ除染の対象にはならないということも、とても理不尽なことです。
汚染の事実があっても子どもを守ることができないというこの実態に、この国の責任の取り方のいい加減さが露呈しています。
帰還困難区域では住民を戻すために大がかりな除染が行われており、高線量の中での除染風景の中には若者の姿もたくさん見られます。
鍬で表土を削ったり、屋根の瓦を一枚一枚拭いたりという作業は手作業でも行われており、そのそばには大量に積み重ねられたフレコンバックの山があります。
原発事故というものは起こってしまえばこのように、住民は守られず、なかったことにしようとする流れにどんどん飲み込まれていきます。
大切なものを取り戻すために灯し続けているささやかな火は今にも消えそうで、小さな手で必死に囲み続けているような状態ですが、このような発信を頼りにして下さっている方々の思いに応えるためにも、細々とでも伝え続けていかなければならないと思っています。
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原発事故から時を経て2014.06.09 Monday
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震災後、どれだけの方々との出会いを頂いたのか、今となっては思い出せないほどの日々を過ごして来ました。
3年3か月が過ぎた今、「なぜあの時、訪問を受け入れて話をして下さったのか」という質問に答える場面があったので、それにどう返したかという形で、ここに残しておきたいと思います。
大学生のみなさんにお話をすることも何度かあったのですが、その中のひとつのお話です。
************ここを訪れるみなさんが、被曝のリスクを抱えながらこの地に来て下さったのは、何を得るためなのかという思いを抱きながら、対応をさせて頂きました。
これからこの社会の中を生きていく若いみなさんにお伝えしたいことはいろいろありますが、この事態を本質的なところまで理解することは困難であっても、問題に向き合っている私たちに出会うことによって、小さな種は受け取って頂けるのではないか。感性が豊かな時に出会ったものは、今は咀嚼できなかったとしても、いつかどこかで何かに直面した時に芽を出すこともあるかもしれないという気持ちでお話をさせて頂きました。
事態の渦中に生きる私たちと、実はその渦の中に加わっていながらも、それを意識することの難しい日常の中で生きるみなさんとでは、この問題を共有することは困難であると感じます。
国策によって進められてきた原発というものは、細部に渡ってそれを歓迎することを当たり前とする外堀が埋められており、暮らしの常識の中にまで浸透してしまっているその当たり前感を覆すことは、並大抵のはたらきかけでできることではありません。
原発事故の被害を受けたここに住む人々が、どのようなことが起こったのかを理解することも困難で、権利を主張することもできていないことが、その大変さを物語っています。
復興というものに光と影があるとすれば、私がみなさんにお伝えするのは影の部分であると、これまではそのように思ってきました。
原発事故という大惨事から立ち上がっていく市民の姿を捉える場面は数多く存在しており、明るく前向きなことばかりを伝えようとする発信のあり方に、違和感を抱く市民も存在しているということは、どれぐらい伝わっているのでしょうか。
そういった明るい話題ばかりが大きく取り上げられることにより、国が全く向き合わないことによって進まない被曝という現実の世界に生きる私たちは、一層孤独に追いやられ、取り残されていってしまう焦りを強めているということは、あまり伝わっていないのではないでしょうか。
メディアに期待はできないと、原発事故がもたらした被害によって理不尽さを強いられている弱者たちの実態を表に出すために、同じことを何度も繰り返し伝えながら歩み続けた日々というものは、出口のないトンネルを突き進んでいるように感じるほど、宛てのないものでもありました。
通りすぎていく旬を追うような、冷たさを感じる取材の数々や出会いの中にも、今尚消えることなく残り続けている繋がりも存在しており、その大切な存在の中のひとりが、生徒さんをここに連れて来て下さった先生です。
ショッキングな事態が起こった時には、人々は一斉に立ち上がり、おかしいことをおかしいと叫びながら、何かを変えようとする希望の動きを見せますが、時が経った今、一体どれだけの人が変わることなくその思いを貫き、この事態に向き合い続けているでしょうか。
立場によって向き合い続けることが困難な、この原発事故の実態こそ、伝えることを粘り強く続けなければ、私たちの経験は過去のこととして葬り去られ、促されるままに事故の爪痕は小さいものとされていってしまいます。
風評被害という言葉を生み出すことによって、現実から目をそらさせようとする国の企みは、見事に大成功をおさめようとしているようにも見えますが、明るく前向きな見せかけの復興の中に存在している隠れた罪悪感は、事態が前に進むことを妨げる危うさも併せ持っているようにも感じます。
絶望的で、先の見えない状態にありながらも、そこを必死で変えようとする動かぬ思いの中にこそ、揺らぐことのない確かな軸が存在しており、明るさの中にある危うさと対極の、とてつもないエネルギーを秘めているという側面もあるのではないでしょうか。
歩いては突き当たる壁の数々に、果てしなく重い荷物を背負わされてしまったようだと感じることもありますが、その中で紡いできたことを振り返ってみれば、それは実は影ではなく光ではなかったかと、今となってはそんな風にも感じています。
原発事故の影響を受けたこの地に、学生さんたちを送り出して下さった先生方の思いはどうであったのでしょうか。
私たちの今は、県外の方からは「なにが起こっているのか分からない」と、よく言われますが、ますます事態は深刻な状態であるということは事実です。
その中でも、市民の力を取り戻すべく様々なはたらきかけを続ける中で見えて来た、小さな希望もたくさんあります。
この世界とみなさんの世界は繋がっており、その未来が真実の豊かさによって満たされるよう、私たちはここで力を尽くしたいと思います。
学生さんたちとの出会いを与えて下さったことに、心からのお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
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東京オリンピック開催決定!あなたの喜びは、私たちの悲しみです2013.09.12 Thursday
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『いわきの初期被曝を追及するママの会』ブログより
http://iwakinomama.jugem.jp/?eid=73
東京オリンピック開催決定!あなたの喜びは、私たちの悲しみです
- 2013.09.11 Wednesday
- 21:38
東京オリンピック開催決定。
このクレイジーな事態が私たちに与えるショックの大きさは、言葉にできるものではありません。
世界の同情を引くために、原発事故の被害を受けてしまった福島の子どもたちを利用した、安部首相の最悪のプレゼンは、忘れられない内容です。
福島の子どもたちが青空のもとで元気にサッカーをしている。
福島の子どもたちに夢を・・・
原発事故の真実を知ってか知らずしてか、東京での開催を求めたみなさんの声が、福島の子どもたちの未来を更に奪うことに繋がったという罪深さを、私たちは重大なものと受け止めています。
あなたたちの喜びは、私たちの悲しみです。
あなたたちの犯した罪の重さを、私たちは問い続けます。
福島の問題を封じ込めようとする動きに、あなたが加担していることを自覚して下さい。
私たちの子どもは未だに救済されないまま、あなた方の幸せの犠牲になっているという事実に向き合って下さい。
たとえどんなに声が小さくても、私たちは福島から叫び続けます。
原発事故の被害を受けた子どもたちの未来を、真剣に考えて下さい。
社会全体として、救済する流れを早急に作ることに力を貸して下さい。
過ちを正しましょうと、一緒に叫んで下さい。
誰かの犠牲のもとに成り立つ幸せは、幻です。
その栄光もまた、幻にすぎません。
人生の中の輝かしいはずの栄光が、誰かの犠牲のもとにある、罪深いものであるということに気付いて下さい。
なにかを極めるということは、ほかのことなどどうでもいいということではないはずです。
せっかくの積み上げてきた努力の舞台が、原発事故を闇に葬るための、国上げての大芝居の舞台であったということに気付いた時、アスリートのみなさんの喜びは、罪悪感に変わることでしょう。
人生をかけて努力を積み重ねてきたアスリートのみなさんの栄光を、そのようなものにしてしまうこともまた、とても残酷なことだと感じます。
7年後に東京で開催されるオリンピックは、私たちの問題を揉み消すための、最悪のオリンピックだということを、十分に理解して頂きたいと思います。
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福島原発告訴団からのお願いです2013.01.25 Friday
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原発事故が起こり、いろいろな世の中のしくみを知ることになりました。
情報は常にコントロールされていて、なんとなくのイメージが浸透するまでには巧みなテクニックが存在し
そのすり込みによって、何もなかったように日常を取り戻してしまっている雰囲気が存在することに違和感を覚えます。
この福島原発告訴団についても、地元でさえ存在や内容がまだまだ知られていません。
原発事故を無駄にしたくないという思いは共通であると思います。
二度と繰り返してはならないという、未来のための告訴団の訴えにご注目願います。
私たちの声が、なんとなくのイメージ作戦により、かき消されようとしています。
全国組織に拡大するまでの、ひとりひとりの声がどのような思いで上げられてきたものか
その重みが打ち消されてしまわないように、みなさんにお願いがあります。
昨年末、全国紙が一斉に検察の動きを報道しました。
原発事故立件の可否、来年3月にも判断 検察当局 (朝日)
福島第1原発:津波「過小評価」に注目 検察が任意聴取 (毎日)
原発事故 100人超聴取へ 東電旧経営陣・班目氏ら 検察 来春立件判断 (産経)
記事には、私たちの告訴・告発を受けて関係者に事情聴取を行っていること、3月にも立件の可否を判断すること、そして、「予見可能性に高いハードル」「立件にはハードル」「立証は厳しい」「起訴は困難」などの文字が並んでいます。
こうした「起訴は困難」の憶測が報道されることで、「やっぱり立件できなくても仕方がないみたいだね・・・」と、諦めムードになってはなりません。これほど多くの被害者が加害者を訴えているのに、なぜ泣き寝入りしなければならないのでしょうか。笹子トンネルの天井崩落事故では、その翌日から特別捜査本部が立ち、事故の原因と責任の追及が始まりました。原発事故があまりにも巨大であるから責任が特定できないのでしょうか。いいえ、巨大な事故であればあるほど、徹底した責任追及が必要なのだと思います。二度とこのような恐ろしい過酷事故を起こさないためにも。
「福島原発告訴団」告訴声明
2012年6月11日今日、私たち1324人の福島県民は、福島地方検察庁に「福島原発事故の責任を問う」告訴を行ないました。事故により、日常を奪われ、人権を踏みにじられた者たちが力をひとつに合わせ、怒りの声を上げました。告訴へと一歩踏み出すことはとても勇気のいることでした。人を罪に問うことは、私たち自身の生き方を問うことでもありました。しかし、この意味は深いと思うのです。・この国に生きるひとりひとりが大切にされず、だれかの犠牲を強いる社会を問うこと・事故により分断され、引き裂かれた私たちが再びつながり、そして輪をひろげること
・傷つき、絶望の中にある被害者が力と尊厳を取り戻すこと
それが、子どもたち、若い人々への責任を果たすことだと思うのです。声を出せない人々や生き物たちと共に在りながら、世界を変えるのは私たちひとりひとり。決してバラバラにされず、つながりあうことを力とし、怯むことなくこの事故の責任を問い続けていきます。
「福島原発告訴団」告訴人一同
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