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    負の連鎖を断ち切ることを阻む許容体制と中毒性
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      原発事故から5年。

       

      原発再稼働に向けての動きがどんどん加速している様子には、「私たちの苦しみは一体なんだったんだろう」と、受け入れられない気持ちを抱くと共に、避難計画が整えば再稼働をよしとする流れを見ながら、事故が起っても避難など許さない、この国の冷たさを知ってしまった私たちの無力さを痛感します。

       

      原発事故直後、全ての人々が自分の生き方を振り返り、心が動き、身体が動き、ひとつになって負の連鎖を断ち切ろうとしたのだと思いますが、それを持続させることができず、こんなことになってしまったのはなぜなのか、繰り返される悲しい歴史の数々と重ねながら、悲しみが溢れます。

       

      あれから5年

       

      環境省から告げられた、除染事業は今年度で終了という線引き。

       

      汚染された土地へ戻ることを強いる動き。

       

      原発事故は収束もしていないのに、汚染のもとを断つこともできていないのに、「被曝の原因を取り除く努力、環境をもとに戻すための努力はもうしませんよ」と、加害者側である国が一方的に義務を放棄していく理不尽さ。

       

      それを受け入れるのか、それとも権利を主張しながらもとの環境に戻るまで改善を求め続けるのかは、負の連鎖を断ち切る勇気と覚悟を試される場面でもあります。

       

      原発事故という未曽有の出来事が起こり、「未来をどのように守っていくか」という大変なステージに立たされてしまった私たちは、既存のやり方など通用しない中で新たな策を打ち出していかなければならない存在となり、目には見えない放射能に向き合うということは、損得ではない世界で物事を考えないと、動かすことは不可能だということも散々味わってきたことでもあります。

       

      しかし、「まだそんなことを言っているのか」という声は、負の連鎖を断ち切ろうとする声を大きく上回り、「どんな理不尽さも受け入れていくしかない」という許容体制が、理不尽さを強いる体制を助ける形で存在していることに、悲しみは一層深まります。

       

      一度受け入れてしまったら手放せない、中毒性のあるこの巨大な経済活動は「絶対に繰り返してはいけない」という宣言を、ひとりひとりが一分一秒ごとに心に誓わなければ、それを断つことは叶わないような恐ろしいものです。

       

      そして、負の連鎖を強いる魔物と戦うために必要なものは、ひとりひとりの心の力。

       

      再稼働を阻止するために、動き始めた方々に、伝えたいことがたくさんあります。

       

      なくしてしまってから気付く、かけがえのない日常のありがたさ・・・

       

      どうか、大切なものを守り抜いてください。

       

       

       

       

       

       

       

       

      posted by: クリキンディ | 祈り | 03:35 | - | trackbacks(0) | - | - |
      福島原発告訴団に加わって下さい。 共に歩みませんか?
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        先日、須賀川市にある『銀河のほとり』にて、《安田行純法尼(安田純さん)と武藤類子さんを囲む会》に出席して来ました。

        安田さんは「世界から福島の原発を変えていこう」とおっしゃるニューヨーク在住の尼さんで

        原発、3.11、9.11、戦争のことで呼びかけ人として、ピースウォークや断食、祈りと言う非暴力アクションを続けている方です。

        『アメリカをはじめ、世界の人が福島を注目している。福島の方々の今の声を聞いて世界の人に伝えたい』と、遠路はるばる福島までいらっしゃいました。

        あまりにも理不尽なことばかりの原発事故後の対応について

        特に子どもたちが、健康被害の可能性がありながら、内部被曝調査も甲状腺の検査も進んでいないという状況を、世界が知ったらどう思うのでしょうか・・・

        被曝による健康被害の危険性を認めないことによって、真っ先に守られるべき子どもたちの問題が、復興よりも後回しにされているこのおかしな現状を、とにかく伝えたい。

        そんな私の訴えに対して安田さんは、『気付いてよかったわね。国は私たちの味方ではないのよ』と、静かにおっしゃいました。

        その言葉に至るまでには、一体どれだけのことを乗り越えてきたのだろう・・・

        『私たちに何を求めますか?何を必要としていますか?』

        そんな質問に対して、『どうか私たちを置き去りにしないでほしい』と、つい本音を言ってしまったのですが、

        それに対して安田さんは、『そんな風に思わなくても大丈夫。アメリカでは福島の事を詳しく勉強して本を書いたり映画を作っている人もいて、関心を持って動いている人はたくさんいるのよ。そしてそれはスピーディーにどんどん広まっています。メディアもやはりこの問題はあまり取り上げないので、海賊メディアが発信しています。若い人たちを中心にそちらを観ています。みんなが福島を見ています。あなたたちは私たちのリーダーです。心強いわ!』と、おっしゃって下さいました。

        アメリカで起こっている数々の平和運動・・・そこにはもちろん原発の問題も含まれています。

        市民たちが命がけでアクションを起こしている様子なども伺いました。

        みんなが心をひとつにして地球のためにアクションを起こすことに、決まった形などない・・・

        それぞれにできることを、いろんな形でしていきましょうと、まだまだ可能性がたくさんあることを教えて頂きました。

        福島で起こっていることを世界に伝えるために、こうして足を運んで声を聞きに来て下さったことを、心から有難く思いました。


        そして「福島からあなたへ」の著者である福島原発告訴団長をされている武藤類子さんのお話も伺いました。

        類子さんは今、11/15の二次告訴に向けて全国を飛び回っています。

        目標は1万人ですが、なかなか現状は厳しいそうで、道は険しいとおっしゃっていました。

        人を犯罪者として責任を問うことは自分の生き方を問われること。

        原告団に加入した年配の方の陳述書の中で一番多かったのは『自分の世代が許して来てしまったことを自らが問わねば死ねない』という内容だったそうです。

        『俺らはもう関係ないから』とか、『あなたたちのような若い人にがんばってもらわなきゃ』という、まるで他人事のような言葉をたくさん耳にする中で、そのような言葉に触れることは、とてもほっとするというか・・・やっと仲間に出会えたような、そんな気持ちになります。

        このような事故がおこってからも原子力産業は安全を流布し、考え方の違いからそれを許す傾向さえ見られ、巻き返しの勢いさえ感じます。

        子どもたちが復興のシンボルとされ、復興策とも言えるいろんなことが行われ、鼓笛隊の行進、マラソン大会、プール、楽しい屋外の遊びがどんどん解除されていっています。

        除染により伐採した木で学校の机を作ったり、桃農家で食べ放題イベントを行ったり、栃木の中学生にいわきの瓦礫の処理を手伝わせたり、復興モード全開でどんどん安全アピールは拡大しています。

        賠償のライン引きによっても、人々が分断や対立をしてしまっている今。

        しかし、物言うべきことは他にあるはずです。

        被害者としてだけではなく、自らが立ち上がって、黙ってはいないで自分自身の力を取り戻し

        被害者としての立場から一歩前進して、どうしていくかを見つめなおす。

        これは人権の問題であり、命や健康が大事にされていないことに対してNOと言い、尊厳を取り戻していくための行動なのです。

        先住民たちは被曝しながらウランを採掘し、原発の労働者は被曝しなければ作業や点検ができません。

        そして、自然エネルギーに変わるだけでは問題は解決しない・・・

        消費量を減らし自分の暮らしや生き方を見直すことに繋げていくことも大事なことです。

        類子さんの話を聞きながら、告訴団の拡大がなぜ難しいのかを考えました。

        一歩踏み出すことは、何か特別なことのような気がして勇気が持てない。

        そんな声も聞こえてきます。

        全国を回る間には、『まずは誘致をした福島の人が謝罪しろ』という言葉を浴びせられることもあるそうです。

        逆に、『これは福島ではなく、いつここで起こっても不思議ではなかったこと』と言って、熱心に取りまとめをしている地域もある。

        いろんなことはありますが、これは福島だけの問題ではなく、原発というエネルギーの選択に対して日本中の人がどう思っているのかということを問うことでもあります。

        福島第二原発の中は73ミリシーベルトという環境だそうです。7ミリシーベルトで100%死亡すると言われていて、その10倍もの危険性があるということは、作業にかかれるまで最低でも300年かかるということ。

        廃炉にするにも被曝からは逃れられず、その技術さえも確立されていない・・・

        このような事実から、やはり目を背ける訳にはいきません。

        各地で展開されている告訴団の説明会に、ぜひ、足をお運びください。

        責任の所在を追及することは、おかしなことだらけの国の対応にメスを入れることに繋がります。

        デモに参加することも意思表示ですが、おかしなことを許さず、正す行為に参加することも積極的な意思表示です。

        国民のひとりひとりが被害者です。事故に対してだけではなく、未来を脅かすことになった原子力政策に対してのNOというアクションです。

        どうか、仲間になって下さい。

        私たちが今、一番求めていることは、福島を外に見るのではなく、同じ日本で起こっている内側のことと見て頂きたいということです。

        自分たちは被害者ではない・・・

        残念ながら、そうではないと私たちは思っています。

        散々な対応を目の当たりにし、この国の有り様が、未来をどれだけ真剣に考えているのか、そしてそこには市民の安全や命の尊厳が重要なこととして組み込まれていくのだろうかということに、虚しさや悲しさを、深く味わってきました。

        これは、私たちだけではどうすることもできないことなのです。

        原子力村という物凄い力に対して、今の私たちは太刀打ちができないのです。

        一緒に未来を変えていきませんか?

        このアクションは、とても重要なアクションです。

        どうぞよろしくお願い致します。


        2012年9月3日(月)に行われた福島原発告訴団記者会見の模様です。

        http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1431

        福島原発告訴団
        http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/?m=1
        posted by: クリキンディ | 祈り | 17:15 | - | trackbacks(0) | - | - |
        3・11から1年経った被災地からのレポートです。
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          『人にどう思われたって構わない』

          そんな言葉を発する仲間との出会いがありました。

          正直言って、私はそこまで強くないし、実はいつだって震えながらのいっぱいいっぱい状態。

          気が弱いだなんて今更言っても通用しないほど

          3.11は自分を奮い立たせてくれたきっかけでもありました。

          新学期が始まり、初めてのクラス懇談会がありました。

          話題には放射能のほの字も出ません。

          こんな大変な事故が起こってしまったのだからと

          去年に引き続き、心臓バクバクさせながら語らせてもらいましたが

          担任の冷たい視線。

          不安だと思う父兄がいても声を上げられない雰囲気。

          これが福島の現状です。

          子どもの未来を責任持って守りますと国も県も市も宣言したことがありません。

          学校は上からの指示と言い

          教育委員会は学校長の判断だと言い

          醜い責任逃ればかり。


          『県が公表しているデータには風の強い日はマスクを使用するようにと書いてありますが

          (http://www.pref.fukushima.jp/j/koukabutsu110.pdf)

          そのようなデータにこまめに目を通し、小さな文字を日常の情報源にしている人がどれだけいるのでしょう・・・

          風の強い日には屋外での活動を控えるなど、最大限に子どもの健康を考慮し、できる対策をとって頂きたいのです。

          マスクの配布も、支援物資として届いたと言うだけではなく、自分の身を守るために着用を促す声掛けをお願いしたいのです。

          学校によって、着用率は様々。先生からの声掛けによって、それは左右されています。

          どうか、呼びかけをして頂けないでしょうか。

          このような大変な事故が起こり、今なお原発は収束はしていません。放射性物質は今も飛散し続けています。

          その現実を受け止めて、どうか、子どもたちの健康被害ゼロを目指して、できる対策をとって頂けないでしょうか。

          学校内での全ての活動において、原発事故が起こったということを踏まえて、対処をして頂けないでしょうか』

          足をガクガクさせながら、そんなお願いをさせてもらいました。

          『上に伝えます』

          先生から返ってきた言葉はその一言でした。

          それも悲しかったのですが、こんなお願いを個人個人がしなければならないほど

          ここ被災地も、すっかり何もなかったかのような感じになっています。

          関心があっても声をあげられない人もたくさんいるかもしれない。

          こんな大変な事故が起こったにも関わらず、例年通りに始業式が行われたというあの日から、子どもの未来を心配する親は、声を上げることが困難な状態になってしまったのです。

          (いま福島で起こっていること 子どもたちを救え!http://2011shinsai.info/node/711)



          原発のことで動いてるから『測ってみっぺ!』は過激に見える。

          こんなことが起こって、子どもたちの未来が危ういという危機に、声を上げず黙ってはいられないというだけなのです。

          もともとは至って普通の母親。

          目立つことなど好きではありません。

          そんな母親たちが立ち上がった3.11だから

          世界を変えられそうな気がしていますが

          他人事が多すぎて、先日の大飯原発再稼働反対の抗議行動も泣きながら中継を見ていました。

          10才の娘は、見せてと言って大人たちの今を見たがります。

          何かしら感じながら大人たちのことを見ています。

          クラスでたったひとりのお弁当、体育見学でしたが

          新しいクラスでそれはキツかったらしく親子で1時間泣きながらリタイアを決めました。

          自分がリタイアすればママが自分の今までの気持ちを味わうことになってしまうからと

          泣きながらリタイアできずにいる娘に

          もういいから楽になりなさいと言いました。

          楽になんかなれないんだという娘の言葉は

          今の現状の全てを物語っていると思いました。

          流されても声を上げても変わらない現状。

          でも、やっぱり黙っていることの方が無理。

          担任の先生は給食に戻すと書いた連絡帳を見てハグをしたそうです。

          そのハグは『先生の言いたいことがお母さんに伝わってよかったね』のハグでした。

          先生、子どもながらにいろんな思いをしなければならない今を

          深く理解してみて下さい。

          お利口なだけは生きていけない世の中だということを

          子どもたちに教えてはもらえないのでしょうか。

          期待はしませんが希望を見せてほしいのです。

          今、大人たちが何を選択するか

          こんなにも迫られているのに・・・


          1年経って、なにもなかったかのような雰囲気になってしまっている被災地からのレポートでした。
          posted by: クリキンディ | 祈り | 09:54 | - | trackbacks(0) | - | - |
          瓦礫の受け入れに反対をしてください。~福島の母親たちより~
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            『今年は復興元年』

            『瓦礫の処理が進まないことが復興を妨げている』


            北九州へ避難した友人ばかりではなく

            各地へ避難した母親たちが、瓦礫の問題で苦悩の日々を過ごしています。

            避難しても尚、気の休まる暇がないばかりか

            地元の住民の方々との意識の違いで孤独感を抱え

            福島にいて散々苦労してきたことを、また繰り返さなければならない彼女たちの現状を思うと

            胸が締め付けられる思いでいっぱいになります。

            難しい分析や見解などは専門家の方にお任せ致します。

            瓦礫の受け入れをすることによって

            その後起こりうるであろう暮らしの変化や

            放射能と共に暮らすということがどんな心情を伴うかということを

            母親の立場で書かせて頂きたいと思います。


            1年という月日の中で学んだことはたくさんあります。

            本当のことは後から分かるということ。

            細心の注意を払わないということは自ら被曝を受け入れることと同じだということ。

            目を光らせていなければ、いろんなことはどんどんなし崩しになっていきます。

            1年が経ったから大丈夫なんだという、なんとなくの流れが私たちの周りを囲んでいます。

            何事もなかったということにしたいという思いが見え隠れし

            原発事故って、こんなに軽いものなのだったの?と、あまりの終わった感でいっぱいの空気に脱力感でいっぱいになります。

            私たちの悲しみに目を向けて、同情をして、分かち合いをして下さるのなら

            瓦礫を受け入れるのではなく

            どうか、私たちの変わってしまった日常に目を向けて下さい。


            季節ごとの楽しみは悲しみに変わりました。

            これらはもう元には戻りません。

            子どもたちに『さわっちゃダメよ!毒だよ!』と自然を敵のように言わなければならないことはとても悲しいことです。

            大好きなお花摘みもできなくなりました。

            草の上を転がりながら遊ぶ子どもたちの様子を、目を細めながら眺める日々は戻っては来ません。

            震災以降、私たちは『心穏やかに過ごす』という精神を失ってしまいました。

            目の前にあるものは被曝の原因となるものかもしれず

            子どもの行為ひとつひとつが危険を伴う行為かも知れない

            そんな中で心穏やかにいるということは、とても難しいことです。

            神経質な母親だからではありません。

            それは、自分が子どもの成長に責任がある存在だということを、強く意識すればこそのことです。

            私たちを、ひとくくりにしないでください。

            不安定さは認めますが、意味もなく不安に駆られているわけではありません。

            ここにとどまったとしても、できる限りの安全を確保したい

            それを日常の中で持続させ続けることは大変なことです。

            心の休息を取らなければ、まいってしまうというのが正直なところです。

            しかし、現状はといえば

            震災以降、安全を確保するために努力をしている人たちは

            県外の安心と思われる食材を取り寄せ、水も購入し、使い捨てのマスクも常にストックし

            休みの日はなるべく遠くへ出かけ

            被曝がどれほどのものだったのだろうかと実費で検査をし

            その出費をムダ遣いだと夫に叱られながらも

            何度も検査を続ける母親の気持は悲しみでいっぱいです。

            家計は見事に火の車

            そのためには今まで以上に家計を切り詰め、働かなくてはなりません。

            心の余裕どころか経済的な余裕すらなくなってしまい

            それが心の窮屈さに繋がってしまっていることも事実です。

            常に何かに追い詰められているような日々

            学校からのお便りが届くたびに出るため息・・・

            『・・・。なんだか原発事故なんてなかったかのよう・・・。放射能に注意を払うような内容なんてどこにも見当たらない・・・』

            教育の現場が、できる限りの策を常に考えて、子どもたちを全力で守ってくれるであろうという

            私たちの予想は見事に外れたというショック・・・

            このショックはいまだに癒えていません。

            当たり前に戻そうとする勢いに、不安を抱く母親の疲れは更に膨らんでいくのです。

            それを共有できている人は幸せなほうです。

            未だに一人ぼっちで悩みを抱えながらいる母親に

            私は会いたいと思うのですが

            それもなかなかできていないかもしれません。

            安心の度合いは人それぞれなので押し付けることはできません。

            こんな教育委員会の言葉に、私は首をかしげます。

            押しつけではなく、共通認識として、大人が子どもを守るという姿勢を見せるのが教育現場としてのあるべき姿なのではないでしょうか?

            教育現場とのやり取りで、どれだけの母親たちが傷付いて涙を流していることでしょう・・・

            先日、子どもたちを放射能から守る全国ネットワーク主催のサミットに出席した際に

            『子どもの人権』という言葉を目にしました。

            とても大きく心が反応しました。

            守られるべき子どもの人権が守られていないという現状。

            まだまだ埋もれていますが

            各現場での対応がどうであったのか

            取り上げれば大問題になるであろう事例は山ほどあります。

            私自身、震災以降、各家庭の線量を測定しながら、各教育現場がどんな対応をしているのかを聞き取りしてきましたが

            耳を疑うような話は本当にたくさんあり

            母親たちの涙をたくさん見てきました。

            そんなことが許されるのかと、本当に悔しさを噛みしめてきました。

            みなさんに、私たちのような思いをしてほしくはありません。

            私たちの現状を知って下さい。

            毎日毎日が、今までとはまるで違ってしまいました。

            この空虚な思いは、なかなか伝わらないでしょうが

            ほんの少しでもイメージをしてみて下さい。

            分断という言葉をよく耳にしますが

            意識の違いが生み出す分断は想像以上のものです。

            放射能に敏感でいるということが、イコール、こそこそと身を守るという

            なんともおかしなことになっているのです。

            私自身は堂々としているつもりではありますが

            風評被害という言葉がここに存在する以上は

            ほとんどの人たちはNOという言葉を上げられないのです。

            今までは有難いお付き合いであったことが今はそうではない・・・

            頂き物をどうするかという、気まずい話もよく聞きます。

            例えば、収穫の秋、自宅で採れた柿で干し柿を作るということは

            本当に素晴らしい伝統的な食の楽しみであって

            歓声を上げながら柿を取って

            縁側に腰をおろして家族総出で皮を剥いて

            干し柿作りをする光景などは、今までならほのぼのとした秋の風物詩でした。

            放射線量が高い郡山市。夫の実家でも、例年通りに干し柿を作りました。

            それが届いた時の気持ち・・・

            柿の線量は高いということは食品測定所のデータで知っていました。

            干している場所も高濃度汚染地域です。

            親であっても意識は異なり

            説明しても通じることばかりではありません。

            これを食べるか食べないか

            こんなことがずっと続いています。

            これはごくごく小さな、ほんの一例にすぎません。

            とにかく今までとは、全てが違うのです。

            これ以上汚染を広めることはしてはいけません。

            どうか瓦礫の受け入れにはNO!と言って下さい。

            真実は後から知っては遅いのです。

            私たちの悲しみを無駄にしないでください。

            失ってから気づくことの多さに

            私たちは途方に暮れています。

            痛み分けなど、私たちは望んではいません。

            同じ思いをしてほしくはないのです。

            防ごうと思えば防げることを

            どうか積極的に考えて頂きたいのです。

            汚染された後に、どんなことになるのか

            具体的なことはあまり伝わっていないのでイメージができない

            遠方から届くそんな言葉を受けて

            ごくごく日常にある、私たちの暮らしや思いを、ここに書かせて頂きました。

            これをお伝えすることは、私の友人たちも望んでいることです。

            子どもを守るために苦労している、福島の母親たちからの祈るような思いが

            少しでも伝わりますように・・・。





             
            posted by: クリキンディ | 祈り | 11:36 | comments(65) | trackbacks(0) | - | - |