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あれから4年、リスクコミュニケーションが私たちから奪うもの
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    原発事故から4年が過ぎようとしています。
     

    私たちにとっての日常は、どんなものであったのか、今となっては思い出すことも難しい、原発事故前の日々。
     

    過去と現在を分けることになった原発事故は、今も全く収束の目途も立っていないというのに、1時間ほど車を走らせれば着くほどの近い距離に住む私たちにとっても、その惨状を実感することは難しくなっています。

    遠い所に居れば尚のこと、おそらく年に一度のイベントとして振り返るような、そのような存在になってしまったのかもしれないと、原発事故をテーマにする記事や番組が多くなったここ最近を眺めながら、そんな風に感じています。

     

    原発事故の被害に遭った私たちが、日々の暮らしは一変したと思うか思わないか、今、目に映る、明るい復興を伝える様々な情報やPRに、違和感を抱くか抱かないかは、原発事故の実害を知るか知らないかによって、大きく分かれることとなりました。
     

    大きな違和感を抱き苦しみながらも、真実を知って、最善を尽くすために向き合っていきたいというのが、子どもの未来を案ずる私たちの思いですが、そうした思いも今となっては肩身の狭いものとなり、正面から堂々と被曝の危険性を話せば、まだそんなことを言うのかと、時代錯誤のような扱いをうけるようにもなっています。
     

    風評被害という言葉が広まったことにより、私たちは今、「実態のない放射能被害に対して不安を抱き続ける問題のある人」という強引な決めつけによって、不安を抱くことを否定され、手放すことを急がされています。
     

    国が膨大な予算を投じて行っている「リスクコミュニケーション」は、放射能に対する不安な心を取り除くために、あらゆるところで展開されており、専門家や医者たちが、今現在の内部被曝のデータを見せ、癌の要因や他のリスクと比較をしながら、放射能の影響はないと安心を促します。

    「説明を聞いて安心した」という意見が殆どであったと、住民たちが不安を手放して被害を受け入れたという結果を積み上げることによって、なにを成し得ようとしているのかを考えれば、簡単に安心を受け入れてしまうことが、どれほど危険なことなのかということは理解できるはずですが、疲労感により、不安を手放して楽になりたいと思う気持ちも、否定しきれるものではないのかもしれません。

     

    不安を取り除くことによってなにが改善されるのかと言えば、汚染がなくなるわけでもなく、被曝の影響が軽減されるわけでもありません。

    具体的な対策は進まないまま、不安を取り除くことのみを急かされることを、受け入れてしまってもいいのでしょうか。

     

    いつまでも強情なことを言い続ける頑固者のような扱いを受けながらも、おかしな説明が繰り返される意見交換会で、子どもの健康を守るためには予防原則に徹することが大事だと言い続ける存在は、今となってはとても珍しいものとなってしまいました。

    譲れぬ思いをどこまで貫くことができるかという精神力が試されるステージは、だれが好き好んでそのような場に参加するのかというような過酷なものとなっています。

     

    市民を募集すると言いながら、ほとんどが行政の関係者という参加者たちは、不安を解消させるためにはどうしたらいいのかと、始めからそんなことを口々に言いながら、安心を受け入れることを許してしまった存在です。
     

    そもそも、リスクコミュニケーションとはリスクを減らすための改善策を話し合うことであり、具体的な改善策も進まないまま、安心を押し付けるリスクコミュニケーションに対し、おかしさを否定できないことは、原発を受け入れたこと同様に、権利を放棄してしまったということなのではないでしょうか。
     

    原発というモンスターは、事故が起こっても尚、人々の心を支配し続け、大切なものをどんどん奪っていきます。
     

    事故によって日常も大切なものも奪われてしまったのに、更に差し出し続ける理由はなんなのかと、クレイジーなリスクコミュニケーションに呑まれてしまっているこのおかしさに、疲れ果てた心から血を流しながら迎える、あれから5度目の3・11です。

    posted by: クリキンディ | 過ぎていく時間の中で | 01:51 | - | trackbacks(0) | - | - |